過ぎたるは猶及ばざるが如し


朝から春のやわらかく、温かい雨。文字通り穀類の芽を伸ばすといわれる二十四節気のひとつ「穀雨」だ。おかげで朝のウォーキングもスタートしたもののすぐに足止め。


庭のモミジの木も春の装いになってきた。直径1cmにも満たない小さな花が咲き始めた。あと1週間か10日もすれば、竹とんぼのような羽のついたモミジの実(種)が出来て風に乗って遠くへ飛んでゆくのだ。ともすれば、モミジは紅葉の時だけチヤホヤされるがこの季節のモミジだってけっこう存在感があるのだ。



存在感があると言えばきょう問責決議されたふたりの大臣。存在感がなければ、「また、やったか」くらいで見向きもされないが責任を問われるくらいだから存在感があるということだろう。田中大臣は、今更言うまでもなし。任命した人から「無知の知」とかばわれては「無知」が公認されたようなものだ。2代続きで問責される防衛大臣。日本の防衛はノーズロ同然だ。


田中大臣が「無知」で墓穴を掘ったなら前田国交大臣は「知りすぎて」墓穴だろう。政・官・業癒着の排除を掲げた民主党政権のハズだったのにこのザマ。建設官僚出身大臣だけに癒着の構造を知りすぎて、ついポロリか。知らなさ過ぎる大臣も困るが知りすぎる大臣も困ったものだ。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」