雨の日の紫陽花


天気予報のお兄さんが言っていた。梅雨の期間中で雨の降る日はそのうちの3割程度だと。きょうは、梅雨前線がやってきてその3割に当たる日になってしまった。朝からしとしと降り続く。ハイカラな西洋アジサイの進出で、裏の道路端に追いやられた昔ながらの紫陽花がすねた日陰の子みたいにやっと咲き出した。しとしと雨にはよく映える。


ピンクに見えたり、紫に見えたり。紫陽花は咲く場所、時期、花を見る角度、によって色が変わる。じっと見つめればピンクでもなく、紫でもない。何とも表現のできない色合いに、どこまでも続く底知れぬ深さがある。その深さの中に何かがある。土が酸性だのアルカリ性などとそんな無粋なこと。それをいっちゃ〜おしめぇ〜だよ。


しかし、実生活の中ではそんな雅やかなおっとりとしたことは言っておられまい。”底知れぬ深さの色合いの変化に潜むもの”が大きな変化の分岐点のサインになることが往々にしてあるものだ。女房の美容院に行く回数が増えたとか、化粧が濃くなったとか、言葉使いが上品になってきたとか・・・・。物事の変化はゆっくり進むのが常。ピンクとも紫とも呼べない途中の過程にこそ底知れぬ深いブラックボックスが潜んでいる。言葉では語れない色調の変化に目を凝らして読み取るのがモテる女房を持つ夫の責務だろう。夫妬くほど 女房モテず。ウチは心配イラン。


ただ、このことは夫婦間の問題だけでない。組織のリーダーたるものの責務でもある。部下の言動に目を凝らして読み取り大きな変化の分岐点となるサインを見落とさないことである。職場の規律が乱れてきたとか、会議の雰囲気、内容に変化がみられるとか・・・。 雨の日の紫陽花、色々なことを考えさせてくれる。