いじめは起こるもの


午前中の日射しはさすが立春過ぎの日射し。寄せ植えの鉢の周りを彩る名も知らない花径が1cmあるかないような花が生き生きとしている。午後になると、青空はにわかに雲に覆われ冷たい風が吹きわたる。本当の春にはまだ遠く、「春浅し」を実感させるような立春から2日目だ。


このところ学校での”いじめ”や”体罰”による自殺が社会問題化していると思っていたら、五輪女子柔道強化選手の反乱まで起きてきた。これらの問題に対する識者の意見があまりにも「きれいごと」に終始しているのではないかと思う。自分は、こうした問題に口を挟むほどの人格者でもない。だが、どうしても言いたいことがある。



教育界も「教育再生実行会議」を立ち上げた政府も”いじめ”をなくしさえすれば、こどもの自殺も防げるという発想でないか?生活が豊かになれば泥棒がいなくなり、道徳教育を徹底させれば詐欺がなくなる、非武装中立の国になれば平和になる、と思うのと同じ程度に現実離れしている。
 

”いじめ”は集団生活をしていれば、必ず起こるもの。人類共通だ。この前提に立つべきだ。それを回避する知恵、不幸にして起きた時に跳ね返したり、耐えたりする精神力の鍛錬。これが、現実的な対応ではないだろうか。こうした現実的な対応の延長線上に体罰問題、組織のガバナンスのあり方の見直しもあるのではないだろうか。  云うは易し、行うは難し。わかっているが、いっぺん云ってみたかった。