福知山線脱線事故


心地よい風が吹いて真夏日にもならず、まずは過ごしやすい週末の一日。あすからガキ時分の仲間と富士山の眺めがよいと云われる富士吉田の富士山温泉へ一泊バス旅行というのに天気は下り坂のようだ。日曜、月曜と写真のような満月が見られるような天気になることを祈りたい。きょう25日が満月、昨夜の月だ。


ちょうど1ヶ月前の4月25日、テレビで8年前の同日起きたJR西日本福知山線脱線事故を特集した番組を放映していた。現役時代、鉄道に関係していた上に鉄道事故に遭遇した経験があるだけに、ことのほか関心を寄せていた。自分の遭遇した鉄道事故とはこんな事故だった。


昭和39年5月のある日、朝8時半頃のこと。岐阜県名鉄新広見(現新可児)発御嵩行2両編成電車はほぼ満員の乗客で発車。発車間もなく踏切でエンスト立ち往生しているトラックに衝突。その衝撃で電車の運転士は運転席から車外に放り出され、その上連結器がはずれて1両目の電車は運転士のいないまま走り続けた。2両目はその場でストップした。幸い1両目には現役の運転士が乗り合わせていて、非常ブレーキをかけて大事になることを免れた。


この鉄道会社に4月に入社し、可児市にある教育センターで研修を受けるため多治見から国鉄太多線で広見に出て、この電車の2両目の1番前に乗り合わせていた。


「従業員は会社の施設等で事故・災害に遭遇したときには、業務外といえど速やかに上長の指示に従い人命の救護、災害の復旧にあたること」を教え込まれていた。ストップした2両目の車両から最寄駅まで徒歩で急行し、駅長からの指示を受けるとともに1両目は非常ブレーキをかけて事なきをえたということも聞いた。大した混乱もなかったので、すぐお役御免となったと記憶する。


福知山線脱線事故列車にはJR西日本社員2名が乗車していたが、職場に連絡をし、上司から出勤命令が出たため、2名は救助活動をせず、職場に出勤した。後に救助より出勤を優先させるJR西日本の人命軽視体質はマスコミから批判された。半世紀近い年月を経た自分の経験とダブらせて何とも複雑な心境だった。


昨年事故当時安全担当役員だった前社長が刑事裁判で無罪になった。「危険性を認識していたとは認められない」として。刑事被告人としての立場と経営者としての立場は別だが、安全担当役員としては何も仕事をしなくて知らないことだらけの方が無罪になってしまう。経営者としては失格だが。このことも複雑な心境になった。


大阪赴任時代東西線区間(尼崎を境に西側が福知山線、東側が東西線)を利用していた関係もあって余計に色々考えさせられたこの事故。あれから、もう8年が過ぎた。