伊勢神余話


日差しも鈍く高曇りの一日。グラウンドゴルフでプレイしていても汗もかかずまずまずの日和だ。


きのうの伊勢神峠と旧トンネルは初めて訪れた地で、書き留めておきたいことがまだまだある。伊勢神余話としてきのうの続き。


● 昼なお薄暗い林道での植物
塩の道時代には難所だった伊勢神越えも今では東海自然歩道として整備されて歩きやすい。だが、杉木立がうっそおと続き昼なお薄暗い坂道がけっこう長い。そんな所で目を楽しませてくれるのが、普段のウォーキングでは見かけることのできない林間特有の植物だ。ヤマアジサイはまだ早い。フタリシズカマムシグサが散見できた。
 
ムラサキマムシグサとアオマムシグサ。どちらも薄暗い山の中で咲くサトイモ科の多年草ミズバショウやカラーと同じ仲間。花の部分がちょうどマムシが鎌首をもたげているように見えることからのネーミング。


フタリシズカ。この花も山林の薄暗い所に咲く。2本の花穂の先に米粒にような白い花をつける。静御前とその亡霊の舞姿にたとえたネーミング。



● 明川宿(あすかわしゅく)
国道153号線を飯田方面に向かうと足助の先に明川(あすかわ)というバス停があるのは知っていた。ここが歴史的に由緒ある宿場だったとは先生の話を聞くまで知らなかった。次回の現地探訪で稲武に行く際にぜひ明川に立ち寄ってみたい。


明川は足助と稲武の中間点にあたり、信州方面に向かう最初の宿場。往時をしのぶ民家や石垣が今も残っている。難所の伊勢神峠を越えるのに、重い荷物を背負った馬もきつかったので、馬の荷を人が背負って峠越えをする私的な「助郷(すけごう)」が住んでいたとも伝えられている。


中馬街道は尾張三河から善光寺詣でに行く道でもあったので、別名「善光寺街道」と云われていた。安政4年の日付の入った善光寺参詣者募集帳が現存していて、道中の宿屋や休憩所が記載されている。明川では「中屋、佐兵衛」という記載があり、その中屋の建物も石垣も残っているそうだ。