人生のフィニッシュ


お昼前には雨も上がり、晴れ間が戻った。うだるような暑さだ。この炎天下で暑さを助長するような花が丘陵地の畑やご近所さんの庭で息まいている。グローリーオサだ。この花を見るたびに「炎」という字が頭に浮かぶのは自分だけではないと思う。この花、生け花に使われていることもあるので、かなり一般的な花だと思う。ところが、ネットで調べても花の説明が出てない。農家の方から聞いた花の名だが、もっと一般的な名前があるかもしれない。まぁ、名前はどうであれ、この花は”炎天”を象徴する花だ。


4月の下旬頃から町内で立て続けに3件、いづれもが身内だけの家族葬とするので一般の会葬は辞退という訃報が続いた。これも、世の流れだろう。結婚式が家と家の式から個人と個人の式に変わって来たのと同様、葬儀もムラ社会(家、団体組織)のセレモニーから個人のセレモニーに変わって来たということだろう。


部落、町内の古老が仕切っていた葬儀が、都市化、核家族化が進み,つれあいが逝くとどうやって葬儀を出したらと右往左往するばかり。そこで、葬儀社に一切お任せ。葬儀社は画一的な規格品の葬儀の方が効率的。あくどいやりかた、個性のない葬儀が横行して、いま見直され始めているという側面もあるだろう。


社会の第一線から退いて死期を迎えるまでの時間が長くなった分付き合いの範囲も狭くなり葬儀の参列者が少なくなる。したがって規模も小さくなる。自分の葬儀について考える時間的余裕も出来てくる。そこで、音楽葬とか樹木葬、散骨、お別れの会などという個性的な葬儀も増えてくる。人生のフィニッシュの決め方まで考えるほど余裕のある人が増えたということだろうか?


自分は、死んでしまえばどんな葬式だろうが知ったこっちゃない。ただ、大勢の人に迷惑をかけたくない。そんな程度のフィニッシュの決め方ぐらいしか考えてない。