ミキティの告白


週末からきょうも連日の雷混じりのにわか雨。南国のスコールみたいなものだ。そんな南国の気候のような強い日照りにも耐えて次々と一日花を咲かせるポーチュラカ、横着モン夫婦の夏花壇にはうってつけの定番だ。なにせ、挿し芽をしておけばどんどん増えてくる。日照りさえあれば毎日咲いてくれる。


今月の初め、フィギュアスケート安藤美姫選手の”未婚の母”告白は週刊誌、ワイドショウならずとも衝撃の告白だった。その1週間後の先週、婚外子の相続差別を明治以来認め続けるか平等にするのかの審理の弁論が最高裁で行われた。この二つの出来事は煎じつめれば個人主義と家族主義のせめぎあいではないだろうか?


安藤選手が後日マスコミに対し「そっとしておいてほしい」旨の声明文を出したことでもわかるように、まさに集団マタニティーハラスメントのようだったらしい。仮に自分の生き方からみて釈然としない、賛成するといえないとしても、あえて他人の生き方を否定するような見解を言うべきではない。安藤選手の選択を問うことは、婚外子として生まれた子どもや未婚の母に対する差別をも助長しかねない。


一方、婚外子の相続は婚内子の半分とした民法の規定は、明治時代に制定されたもの。”妾は男の甲斐性”は今の時代にそぐわない。伝統的な家族主義を守るためには民法のこの規定は存続すべきだという意見もあると聞くが、国連の人権機関から「児童は出生によって差別されない権利を持つ」ようにすべく是正勧告を受けていることからしても、最高裁では「子は平等」の判断を示すだろう。きょうの中日新聞に出ていたが、同性婚でさえ認める国が世界にはあんなにたくさんあるご時世だ。


ミキティの告白は、「最高裁」「民法」「婚外子の相続」などと日頃馴染みの薄い言葉を身近な問題として考えさせてくれた。