「キョウヨウ」と「キョウイク」


猛暑日や、熱帯のスコールまがいの日が続いていただけに、昨夜から今朝にかけての涼しさは”干天の慈雨”ならぬ”猛暑の中のクーラ-”だ。朝5時過ぎスタートのウォーキングは爽快そのものだった。


三好丘丘陵地のあちこちで毎年今頃になるとテニスコート一面も二面にも広がるようなヒマワリ畑がにぎやかになる。今年はどういうわけか全く見当たらない。強いて探せば写真にある程度のヒマワリぐらいだ。


きのうのカキコの安藤美姫選手の赤ちゃんが「ひまわり」という名前だから取り上げたというわけでもないが、夏を象徴する花であり才色兼備の花であるからだ。観光用のヒマワリ畑があるかと思えば、種は食用になり、種から採った油は石鹸や塗料の原料になる。茎や葉は家畜の飼料になる。こんな有用な花なのに今年は淋しいことだ。


ボランティアでやっている団体の翌月のスケジュールを決める時、手帳を取り出し「その日は○○がある」「その次の日は△△がある。」などと多忙さを誇らしげに会議の席上で語る人がいる。その人が現役時代の延長で、毎日スケジュールに追いまくられていることに生きがいを感じているなら、こちらがとやかくいう筋合いでもなかろう。


自分は、リタイヤーしたらまず、手帳と名刺を手放した。スケジュールに追いまくられ、利害の絡む人間関係から解放されてほっとした。誰から拘束されることもなく自由な時間を好きなことに費やしたかった。今振り返ってみると、このシャバで生きている以上はきれいごとを云ってもやはり、「カネ」と「女」には苦労する。(女=妻)


きのうの朝日新聞天声人語に載っていた。サラリーマン社会で先輩から後輩へ、あるいは同僚間で流布されている「退職後の暮らしの秘訣」があるという。それは「キョウヨウ」と「キョウイク」。教養と教育と思いきや、さにあらず。「今日、用がある」「今日、行くところがある」らしい。何も用事がなく、どこにも行かない毎日では張り合いがあるまい。


と、天声人語氏はいうが、用もなければ行くところもなければ、自由な時間が有り余っているんではないか。どこから拘束されることもなくやりたいことができるのではないか。これこそ、輝ける第二の人生でないだろうか。


「キョウヨウ」と「キョウイク」は突然訪れる自由な時間の大きさに戸惑って右往左往することのないよう、単に今日の用や行く所ではなく、20年というスパーンでの用や行く所を定年の来る前から考えておけ。ということだろう。