大阪文化


朝から強い日差しが降り注ぎ3日連続の猛暑日。この時期だと5時にウォーキングに出るとまだ薄暗い。舟ヶ峪池に差し掛かると日の出だ。緑内障で両眼上半分の視野が欠けている自分は、上空で日の出に気づくより舟ヶ峪池に写る朝日で日の出を知る。


静寂の中で牛ガエルの野太い鳴き声だけが周囲の林に響き渡る。西風で池の東端に吹き寄せられた睡蓮は読んで字の如くまだ眠っている。ウチとは目と鼻の先の距離で深山幽谷の風情だ。



すり鉢状の池で、水辺に人を寄せ付けない。西側だけが道路に面している。朝露がびっしりのその路傍の雑草の中に露草が群生している。朝露を受けて咲き始め、日が高くなって睡蓮が咲き始める頃になると露草はしぼんでくる。雑草の仲間に入れてはもったいないくらい美しい花だ。


きのうの「女性専用車両」のカキコで大阪の文化について思うことを述べたが、まだ述べたりないことがあるので、その続き。大阪の阪急梅田駅の中に100mほどの動く歩道があり、天井から「あと5m」とか「お急ぎの方のために左側をおあけねがいます」と書いた看板がぶら下がっている。はじめてこの看板を見たとき、ビルのどてっ腹をくりぬいて高速道路が通っている風景とともに、これぞ大阪の象徴と妙な感銘を受けたものだ。


あの「あと5m」の看板は転倒防止のためというより、せっかちな大阪人を落ち着かせるためのものであろう。そして、「お急ぎの方・・・」の看板が必要なほど動く歩道でじっとしていることができず、せわしなく歩く人が多いということだろう。


東京一極集中、文化の均質化といっても元禄の昔から培われた文化はそうやすやすと変わるものでないということを象徴しているこの大阪文化といえるだろう。商人は、自分の才覚でどんどん変わったことを、人より先にしなければ生きて行けなかった。たえず競争をしている。「時は金なり」であった。また、建前が大事であった武士の社会と違って、商人の世界は本音の社会だった。大阪のせわしなさ、奇抜な発想は元禄の昔から変わらない。