終戦記念日


終戦記念日。相変わらずの厳しい暑さだ。ひと月ほど前に朝日に輝く蓮田の写真をアップした。先週の金曜にその田を訪ねた。ハスの花は見当たらない。下の写真のような様相だ。グロテスクな花托、果托が林立している。異様な光景だ。


蓮の花は花弁が散ったあとのジョーロ状の緑色状態のものが花托、生長しながら果托に変化する。右の写真は果托。同時に受粉しためしべも成熟して褐色化し、硬い果皮を持つハスの実になる。右上の写真の黒い目玉状もの。果托は蜂の巣のように見えることから、ハチスが転じてハスになったという説があるとか。



きょう8月15日、68年目の終戦の日が巡ってきた。人口の8割近くが戦後生まれで、戦争の悲惨を語れる人は2割いるだろうか。終戦時4歳だった自分は一応その2割の末席にいるはいるが、あまり語る資格もない世代だ。


ただ終戦玉音放送は記憶にある。本屋の店先の高い棚の上のラジオからの放送を聞いて、おやじとおふくろが「日本が負けた」といって泣いている姿をかすかに憶えている。玉音放送を聞いての涙は負けたのが悔しくての涙だったのか、安堵の涙だったのかそのわけを聞かないうちにおやじは昭和25年におふくろは昭和47年に亡くなってしまった。


きょうの日経の春秋欄で玉音放送の涙が何だったかを教えられたような気がする。いわく。 当時の日本人が玉音放送に接したとき、どういう涙かと云うことを自分で考えるができない。これが偽りのない姿だろう。


「父母(ちちはは)の泣けば幼き子等までがラヂオの前に声あげて泣く」高見楢吉  それは無念の涙だった。悔恨の、憤怒の涙だった。幻滅の、虚脱の涙だった。と。