戦後色


きょうで10日間連続の猛暑日。いつまで続くこの暑さ。丘陵地の農道脇の荒れ地の一角では、今年も数珠玉の実がつきはじめた。この数珠玉、イネ科の植物で稲や麦の仲間だ。背丈は1m程になる。根元で枝分かれした多数の茎が束になり、茎の先の方まで葉をつける。葉は幅が広い線形で、トウモロコシなどに似ている。花は茎の先の方の葉の付け根にそれぞれ多数つく。秋には黒い実が多数なる。


数年前の秋の事。ここで数珠玉を見つけたカミさん、子供の頃数珠玉を布の袋に入れてお手玉を作ったことを懐かしがり、レジ袋一杯かき集めた。(写真下)孫にお手玉を作ってやったが、あまり興味をもたれずがっかりしていたことが思い出される。



きのう、全国戦没者追悼式。マスコミは首相から明確な反省の言葉がなかった。と大々的に取り上げている。戦後68年経ったというのに一体、我々はいつまで近隣諸国に謝り続けなければならないだろうか? 個人と国家間とでは土俵が違うと云ってしまえばそれまでだが、仏教では個人の法要は33回忌を一つの区切りとしている。既に倍返し以上だ。いつまで続くこの屈辱。


「もはや戦後でない」。神武景気の幕開けとなった昭和30年の国民所得が戦前の最高水準を上回るまでに日本経済が回復していたことを受けて昭和31年に発行された「経済白書」では最後に「もはや・・・」の言葉で結んでいた。経済の面では半世紀以上、57年前に戦後は終わっていた。


終戦直後から始まったNHKラジオ「尋ね人」の時間。復員兵、引揚者などの消息を尋ねる伝言番組。ネットで調べると昭和37年まで放送していた。当時大学2年だからよく覚えている。また、人出の多い場所や山手線の中で白衣、義手・義足、アコーディオン・ハーモニカの「傷痍軍人」をよく見かけた。推測だが昭和39年の東京五輪を機に消滅したと思う。戦後の世相を反映するこれらの事象は東京五輪が契機となって無くなっていったと云えよう。来年で50年になる。


思いつくままの上面だけの事象ではあるが終戦後68年経ち、半世紀で戦後色を一掃したと思う。近隣諸国への謝罪外交と不発弾・機雷処理だけは依然として戦後が続いている。