寛容な心

               

日中こそ薄日の漏れるときもあったが、おおむね曇り。きょうから来週にかけての週間天気予報にはお日様マークが見当たらない。何だか憂鬱な気分になる。


けさのラジオ深夜便、誕生日の花はホトトギスと告げていた。そうだ、ちょうどこの時期緑化センターの大きな木々の下、木漏れ日の中で異様な斑点模様のある花が咲いている。鳥のホトトギスの胸にある模様と似ていることからのネーミングとか。2年前の16日に開かれた季節の花めぐりの際に撮った写真だ。可憐とか優美といった形容詞には程遠い感じを受ける花だ。




「いつも、きれいに使ってくれてありがとう。」とトイレに張り紙がしてあるのを時々見かける。大抵の人は「きれいに使いましょう。」と張り紙されるより前者の方がきれいに使おうという気になるのではないかと思う。


ちょっとした言葉の使い方ひとつで人の心理は微妙に動かされるものだ。2年ほど前だったか、自主防犯クラブの会報の記事のネタになるかもしれないと思い読売新聞のコラム欄をコピーして本の間に挟んでおいたものが先日出てきた。そのコラムいわく。埼玉県内の銀行で振り込め詐欺防止のポスターが張り出され、99歳の詩人の一編の詩が載っていたそうだ。


今 あなたの/している事を知ったら/あなたの家族は/どう思うかしら/子供の頃/あなたには/やさしい心があった筈(はず)/風の囁(ささや)きも/聞こえた筈よ/弱い人たちを/苦しめないで/その知恵を/良い事に使ってください


トイレを使うときの張り紙の心理と同様、この底なしの寛容さに心を揺らす“振り込め詐欺犯さん”が、100人に1人でもいるかもしれない。