みよし・福田の眼科医 酒井家

曇り空から時折小雨がパラつく肌寒い一日。生涯学習講座「ふるさとの文化財」はその先祖が織田信長に仕え、その後代々眼科の名医として知られた酒井家をみよし市の南端刈谷市に接する福田町に訪ねた。併せて同家12代利泰の生誕160年を記念した特別企画展が開かれているみよし市歴史民俗資料館を見学した。



酒井家は、織田信長に仕えた人物を祖とし450年以上続く家。4代利道の時に眼科医を開業し、以来300年以上眼科医を連綿と続け現在は知立市で開業。この建物は現在空き家になっている。


この主屋は棟札が見つかっておらず、建築年が不詳だが、古文書から天保14年(1843年)頃の建築とされている。藩主が駕籠で乗りつけることができる敷台という玄関様式が特徴。



主屋に隣接したこの建物は大正時代の建築。13代利考が開業するに際して建てたもの。随所に洋風な建築様式を取り入れた近代和風建築。昭和40年代後半まで診療を行っていた。広大な敷地の中にかつては病棟が建っていたそうだが、今は雑木林になっている。


酒井家の高水準の医療を頼って遠方から来る患者のための旅宿ができ、人と物の拠点としての地域への影響も大きかった。また、10代利亮は寺子屋を開いて子供たちを教育したり、近隣の人達に和歌の指導もした。福田における酒井家の存在感は大きかった。


                                 天保6年(1835年)9代利承によって建てられた酒井家屋敷神金毘羅宮。市内に現存する数少ない江戸後期の寺社建築で市の指定文化財。金毘羅さんと医者がどういう関係があるか解明されてない。


酒井家は4代目当主利道を医祖としてその後歴代当主が眼科医として300年以上にわたり活躍し現在に及んでいる。残された文献によると10代利亮は年間4千人を超える患者を診察した年もあり、その活躍ぶりがうかがえる。


8代利定が没した文化3年(1806年)9代利承はまだ12歳。そこで利定の妹りへが10年ほどの間医療にあたった。江戸時代に女医の活動が知られる事例は大変珍しい。



酒井家12代当主酒井利泰は幕末に生まれ、明治初期に横浜へ行き十全医院やヘボンに西洋医学を学んだ。帰郷後は40年以上、地域医療にとどまらず、文化や行政に貢献した。


今回の特別企画展ではそんな利泰の生涯を各方面にわたって展示紹介している。横浜修業時代の写真や講義録、医師として活躍した際の手術記録、歌人として活躍した際に残した詠草など、これまで紹介されることのなかった酒井利泰の全貌に迫っている。左の写真は酒井家家伝の目薬「真珠散」。

酒井利泰 特別企画展はみよし市立歴史民俗資料館で12月8日まで開催中。月曜休館 入場無料