日米作文教育


名古屋では初雪とか。こちらもいつ舞い落ちてきてもおかしくない風の冷たさ。こんな日のウォーキング、ひとりならとっくに中止にしているが、同行者がいるのがいいのか、よくないのか皆同じ思いで最後まで歩いている。


丘陵の稜線上の荒れ地の草が枯れ、木々は葉を落としつくして荒涼とした風景。身を切るような冷たい風とこの風景、何とかして季節感を表現する言葉がないかと頭をひねっても、凡人の悲しさ・・・。「枯野」ぐらいで、我慢しておこう。


きのう27日の誕生日の花は「ナンテン」とラジオ深夜便で伝えていた。ウチの庭の山茶花の垣根の脇に「南天」が植えてある。今まであまり目にもかけていなかったが、今年はいつになくよく実がつき、大粒になっている。今年は正月におみくじをひいて「凶」だった。にもかかわらず1年大過なく無事で来られたのは「南天」が「難」を「転」じてくれたのだ。それで大きな実がついたのだ。



「日本の作文教育が、主張や議論の苦手な日本人を育てている」という内容の論文をまとめた人がいると紹介していたコラムが先日の中日新聞の夕刊にあった。その人はカナダで子供を育て現在ニューヨーク在住の関洋子さん。子供に宿題として出される作文を見ている内に日本との違いに気がついたという。


向こうで主に書かれる作文は「エッセー」小学校3年からはじまる。まず主題を提起し、それを三つの例を挙げて証明する。最後に違う表現で、もう一度主題を訴えるという流れ。一方、日本は夏休みや年間行事がテーマ。起承転結の四段構成が一般的で技術より気持ちを素直に書くことが求められる。


日米の児童に四コマ漫画を見せて文章を書かす実験をしたところ、エッセー教育を受けてきた米国の児童は全体を把握して書き出すが、日本では時間を追って、平板に説明する子どもが大半だったという。


これでは、世界の舞台で議論し、交流する力が育たないのも当然だろう。関さんは「エッセーを書くことは論理的思考や、伝達力を高める一番身近な方法」と指摘する。


クマのコメント
これだから、日本はダメだと自虐的になる事の方が日本をダメにしているのではないか。日本人の情緒的思考のよさを捨ててまで世界で戦える人間育成教育に走る必要はないのではないか。弱点を補って両立できる教育をすればいいじゃないか。