大樹寺と伊賀八幡宮
氷点下の朝が3日も続くが、きのうよりは風も穏やかで幾分なりとも過ごしやすい一日だった。おかげで、岡崎の大樹寺と伊賀八幡宮を訪ねた生涯学習講座歴史散歩も寒さに震えることもなかった。
● 大樹寺
1475年 松平四代の親忠が創建。松平家(徳川将軍家の祖)、徳川将軍家の菩提寺。「余の遺体は久能山へ埋葬せよ」「位牌は三河の大樹寺へ安置せよ」との家康の遺言により歴代将軍についても同じように等身大の位牌が安置されている。この寺は家康のお墓があることでも知られている。家康が建てさせた松平八代の墓碑群に並んで建てられている。
大樹寺は、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れたとき、今川軍についていた家康は、大高城から大樹寺へ逃げ帰った場所。 先祖の墓の前で自害を図ろうとした家康を思いとどめさせたたのが、この寺の住職登誉上人であった。大樹寺は歴史的にもたいへん大きな役割を果たしている。
上の写真は三代将軍家光建立の山門。楼上に後奈良天皇書の「大樹寺」の額は重要文化財。本堂に比べて山門が余りにも立派すぎてアンバランスな感じ。このことを質問し忘れた。
本堂から三門、総門を通してはるか3km先に岡崎城の天守閣を見ることができる。この景観を守るため岡崎市は条例を制定し高い建物を建てられないようにしている。大樹寺より家康生誕の地岡崎城を拝し、また岡崎城からは徳川歴代将軍と松平家の先祖を祈念できる意味合いがあるといわれる。
● 伊賀八幡宮
1470年松平氏4代親忠が松平氏の氏神として創建した。天下人となった徳川家康により社殿の改築が行われた。更に三代将軍家光が社殿を拡張し、祖父家康(東照大権現)を祭神に加えた。社殿は国の重要文化財。
松平家・徳川将軍家の菩提寺である大樹寺、松平家の氏神であり家康をその祭神にした伊賀八幡宮。北から大樹寺、伊賀八幡宮、岡崎城が一直線で結ばれているということにどういう背景があるか何か壮大なロマンを感じさせられる。