反日運動への苛立ち


春本番の陽気の週末。気温とカレンダーの連携も息がぴったりで、春本番がやってきたと思っている間にカレンダーが1枚めくれた。弥生3月だ。木曜の終日の雨と土曜の夜中の雨は農作業にはもってこいだった。家庭菜園は久しぶりの賑わいの週末だった。そして、週明けのきょうは寒の戻りで風が冷たい。三寒四温とはよく言ったものだ。


この雨と陽気で庭のクリスマスローズもやっと3色揃った。赤、白、青。つまり麻雀でいえば「中」「白」「発」の大三元揃い踏みだ。60年以上のキャリアでも2,3回しか経験してない。ゴルフのホールインワンと並ぶあこがれだ。眺めているだけでも気分がいい。



日本海を韓国式に東海と呼ぶ法案を米国の州議会が可決」「米国には従軍慰安婦の碑を建立した町も」「伊藤博文を暗殺した安重根の記念館が中国に開館」・・・・。日々伝えられる、この種のニュースに苛立ちを覚える。


第一に執拗な反日運動に対する苛立ちだ。 第二に米国議会に対してのロビー活動のやられっ放しで後手にまわって防戦一方のわが国の外交のお粗末さに対する苛立ちだ。わが国ではロビー活動と云うと、政治腐敗につながって悪いイメージを抱きがちだ。国情の違う米国では日常茶飯事のようだ。



第三に拉致問題に対して我が国の外交があの国の抗日運動ほどの執拗さがあったら何とかなるのではという苛立ちだ。これらの苛立ちの元をただせば、交通事故を起こした時明らかに相手に過失があることがわかっていても「どうも、どうもわるかったねぇ」などと云っておけば丸く収まる我が国の文化。国内では通用する文化だが外交の場でも通用すると思って出した「河野談話」や「村山談話」ではないだろうか?



平和ボケだろうか。中韓が共闘を組んで日本を孤立化させようとしている戦略にまんまと引っかかっていることにも苛立ちをか感じる。