田老海岸の思い出


氷点下の朝になったものの日中は風も穏やかで日差しに温もりが感じられる一日となった。ウォーキングの道すがら、日差しが遮られ薄暗いような竹やぶ中はまだまだ真冬の雰囲気で”寒あやめ”が凛として咲き誇っているという感じだ。


きょう11日はあの東日本大震災から3年目にあたる日だ。おとといの日曜から新聞もテレビも、これでもかと云わんばかりの特集のオンパレードだ。脱原発オタク紙中日新聞に至っては視力検査表の一番上の文字に匹敵するほどの大きな活字で「それでも再稼働か」。


クマさんの日記もこれらにあやかって岩手県の田老海岸の思い出を紐解いてみた。


日曜の朝のテレビの報道番組サンデーモーニング東日本大震災から3年目の特集で岩手県田老海岸で廃墟と化したホテルから生中継をしていた。53年前の昭和36年(1961年)学生時代にこの地を訪れたことを思い出して懐かしかった。

                 
一般的な観光地はいつでも行けるからと人が行かないところを選んでの約2週間の友達3人の東北旅行だった。明治三陸津波昭和三陸津波で村が壊滅状態になり高さ10mを超す防潮堤が昭和36年当時にはできていた。まるで、要塞みたいだという印象だった。今回の大震災による津波には、この防潮堤も歯が立たなかったようだ。


田老の海岸には巨岩、奇岩がたくさんあり、そこで土地の子どもたちと写真を撮って後日送って文通もしていた記憶だ。彼らは被災しなかったか、それとも都会に出てしまったのか?いずれにしても、還暦を過ぎてみないいおっさんだろう。いまごろ どうしてるだろう?


半世紀ぶりにアルバムを引っ張り出して昔のことを思いめぐらせた。あの震災がなかったらすっかり忘れてあの世へ持って行った思い出なのだが。