蛍の光
きのうの雨とあすの予報の雨の谷間できょうは束の間の青空の一日。いつ桜が開花してもおかしくないような陽気だ。庭の山茶花と入れ替わるように椿が咲き出した。そもそも、椿なんていうものは早咲きのものだと1月下旬ころから咲き出すと云うのにどういうわけか、ウチのものは今頃だ。山茶花が終わった後で咲いた方が注目度が高くなるという椿の”意志”の表れだろうか?
きのうの中日夕刊の「夕歩道」欄でこんなことが語られていた。《消えゆくは「蛍の光」。卒業式の定番の歌だったのはひと昔前。旧世代が涙を浮かべながら歌った時は四拍子だったが、最近は、スーパーなどの閉店間際に流れる物憂げな三拍子を聞くばかり。》
うぅ〜ん、そう云われてみればそうだ。色々な思い出が詰まっている歌だ。子供の頃、「蛍の光、窓の雪」の中国故事の話を聞いて歌ったこの歌。大学受験生のバイブルみたいな存在だった受験雑誌「蛍雪時代」。学生時代、パチンコ屋の閉店時間までねばってよく聞いたこの曲。今もあるのかどうかは知らないが、年末の紅白のフィナーレで歌う「蛍の光」。藤山一郎の指揮でやっていたころはこの曲のイメージとは逆に妙に明るい雰囲気に思えた。
折りも折、先日の産経新聞のコラム欄でも「蛍の光」を扱っていた。明治の始めスコットランド民謡に日本の歌詞をつけ、若い人の国民意識を育てようと作られたもの。4番まであって、3番、4番は戦後「消し去られた」そうだ。3番には「ひとつに尽くせ国のため」4番には「千島のおくも沖縄も/やしまのうちの護(まも)りなり」とあり、「平和国家の唱歌」としてふさわしくないと嫌われたからだろう。
この時期、あちこちの新聞で取り上げられる「蛍の光」。いま卒業式のシーズンだからだろう。歌われなくなったとはいえ、まだその存在感は大きいと感じた。