愛知少年院の桜


桜の開花宣言からおよそ1週間、春たけなわの陽気に慣らされた身体には随分とこたえた、先週末の花冷えだった。けさも最低気温が3度だとか。桜の開花期間が長持ちすることだろう。


土曜日は愛知少年院の桜の一般公開日だった。ウチから車で10分とかからない距離にある二大桜の名所のひとつだ。もうひとつは、先週の日記でアップした豊田高専の桜並木。少年院の桜は高専の桜並木より規模が大きい。樹齢70年以上の桜が約300本構内にある。そのうち100本は豊田市の名木に指定されている。


ここ少年院は毎年4月の第一土曜に1日だけ一般公開される。カメラ、携帯電話の持ち込みはご法度だ。せっかくの名木群もフェンスの外からしか写せない。写真に電線は入るはフェンスが入るはでブログにアップする写真も台無しだ。



ところが、5年前の4月4日のクマさんの日記には少年院の敷地の中の桜のトンネルの写真がアップされているのだ。それは、初めて少年院の桜の公開日に訪れたときのことだ。


あいにくの雨で、せっかくこれだけの桜も見物する人影はまばら。ほとんど独り占め。見上げると満天を覆い尽くす満開の桜に圧倒される。見物人より監視役の係員の数の方が多いくらいだった。構内はカメラ、携帯電話禁止。これを知ったのは構内を一回りして帰りがけの出口で写真を撮っていて注意されたときだった。


幸いメモリースティックを没収されることもなく、ここにちょっとやそっとでは撮影できない貴重な写真として登場することとなったのだ。ただ、あいにくの天気でモノクロで撮影したようにしか写らないのが残念だ。

               

この桜の故事来歴が知りたくなって、係りの人に尋ねたりネットで調べたことをまとめるとこうだ。そもそも、この場所は旧海軍飛行場跡。昭和14年愛知航空機の性能試験飛行場として造成され、翌昭和15年に海軍に買収された。昭和20年4月から6月までに3回ここから神風特攻隊が出撃し63名が若い命を落としている。


今、少年院になっている場所は海軍の官舎、兵舎の一部。桜はその当時植えられたもの。潔く散る桜とここから出撃した若い命がはかなくも散っていった事実に因縁めいたものを感じる。