ニセアカシア


ウチの南側にある緑地のカエデの若葉のつややかな緑色がきのうの雨に洗われて一層輝きを増している。きのう5日は二十四節気立夏だった。暦の上ではこの日から立秋までが夏、夏が立ったのだ。立夏が過ぎて風薫る5月と云いたいところだが、けさのウォーキングはひんやりとした西風が吹く中での歩行。とても、とても薫風とは云い難い。


高校の校歌 ♪ 薫風かおる春五月 / 桜並木にたたづめば / 顔なで落ちる花嵐・・・先人はこの時季、夏の到来を知らせる南から吹くこの風にかぐわしい香りを感じ取ったことだろう。春は東風(こち)、夏は薫風と季節の到来をいち早く知らせる風に先人は敏感だったようだ。


きょうでGWも終わり。みんなが移動するときは静止、みんなが働き出したら移動のサンデー毎日族、会社の同期入社の仲間20人ほどであす7日、8日の両日新穂高旅行。ところが、土曜日に飛騨地域で群発地震。なんと間の悪い地震だ。モノは考えようだ。忘れた頃にやって来る地震よりはマシかもしれない。つい3日前にやって来ているから、こちらはある程度身構えている。



ウォーキングコースには何カ所もの荒れ地があり、その中には低木が生い茂っている場所がかなりの数ある。そんな場所に毎年のことながらニセアカシアの花が咲いて芳香を放っている。今年もその時季がやって来た。季節の花めぐりの先生の話によるとこの植物ほど功罪を備えているのは珍しいとのことだ。


「功」花が食用になる(蜜、アカシア酒、てんぷら)。成長が早く緑化材になる(治山、砂防)。「罪」外来種で松林を減少させている。希少種の生育を妨害している。


明治の初め輸入された当時はこのニセアカシアをアカシアと呼んでいたが後に本来のアカシアが輸入されるようになり区別するためニセアカシアと呼ぶようになったらしい。西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」のアカシアも石原裕次郎の「赤いハンカチ」で歌われる「アカシアの花」もすべてニセアカシアと云われるそうだ。


これら二つの歌の作詞者はそれを知らずして作詞したのか、それとも承知であえてニセを省いたのか。きっと後者だと思うが、人間上に何とかがつくほど正直では世渡りが出来ないものだ。「ニセアカシアの雨がやむとき」「ニセアカシアの花」なんてやったらいくら歌い手がよくてもヒット曲とはならなかっただろう。