歴史散歩 有松


夜明けが早くなってラジオ深夜便できょうの誕生日の花を聴く機会が多くなった。きのう19日の誕生日の花はヒナゲシと云っていた。先日アップしたアツミケシはいわば”ワルモン”のケシだが、このヒナゲシの仲間ナガミヒナゲシは麻薬とは無縁の”エエモン”だ。


家庭菜園の土手に10日以上前から咲いていた。きょう写真を撮りに行ったら一輪を残してみな実になっていた。日当たりが良すぎて成長が早すぎたのかもしれない。ヒナゲシというよりポピーと云った方が親しみがわく。



生涯学習講座4回シリーズの歴史散歩、古い街並みを歩く第1回目は旧東海道有松の街並み散歩。この町並みの中にある有松絞会館での有松絞体験に来たことはあるが、街並み散策は初めてだ。ボランティアさんのガイドで東西800mほどを散策。

     


何と言っても電柱がないのがいい。有松東海道無電柱化が昨年3月に完成したそうだ。江戸時代と同じ空を眺め、同じを空気を吸っている雰囲気になれる。街並みの西端まで来ると、突然上空は江戸から現代にタイムスリップ。名二環の巨大な高架橋が現れるのだ。



ガイドさんによると有松の成り立ちはこうだった。1608年尾張藩東海道整備のために鳴海と桶狭間の間に新しい村を開いた。それが有松。ところが、農作地が少ないこともあって新産業を興した。知多の阿久比から移住した竹田庄九朗らによって絞り染めが始められた。それが、有松絞り。隣の鳴海は宿場町だったが、有松は有松絞を製造販売する商工業の町として賑わった。




天明の大火(1728年)のあと、復興にあたっては総瓦葺き、なまこ壁などの防火構造として現在見られるような街並みが形成された。知多から移住して新産業を興した竹田庄九朗の屋敷は千坪もある。(左写真)                            


当時の尾張藩は税の減免措置をすることまでして移住者を募ったそうだ。アベノミクスの成長戦略で特区を設けて成長産業を育成しようとしているが、尾張藩は400年も前にまんまと成功をおさめていた。有松の街並みを散策してそんなことを感じた。