贈り物


きのう同様不安定ながらおおむね晴れの天気。きのうの蒸し暑さから一転乾いた涼しい風が吹きしのぎやすい一日だった。丘陵地の畑や雑木林の栗の木が白くなって遠くからでも目立つようになった。真っ白な栗の花だ。いつものことながら、この花の匂いの好き嫌いが分かれる。ウォーキングのメンバーの中でも同じだ。


白い花といえば、きのうカキコした誕生日の花「ヤマボウシ」。中央の丸い花穂を坊主頭に、4枚の白い花びらを延暦寺の山法師の白い頭巾に見立てたものとのことだ。山中に群生するこのヤマボウシがとんでもない騒ぎの発端になった。きょうの朝日新聞のデジタル版に載っていた。


秋田市の山中で13日午前、群生するヤマボウシの花びら状の苞(ほう)を墜落した小型機と誤認し、消防車12台などが駆けつける騒ぎがあった」と報じていた。こんな騒ぎになれば、真っ白なヤマボウシも真っ青だ。



先日配信されたメルマガに高野山の管長が体験された話が載っていた。管長が仲間とネパール訪れた時の話。木陰で弁当を食べていると貧しい子供達が寄ってきて、食べ残しをもらっていた。ネパール人のガイドが飛んできて子供達から弁当を取り上げてしまった。


そして、そのガイドはみんなの残飯を布の上に広げて、子供達に平等に渡るように分配した。日本人の食べ残しをねだってもらって食べる。それがどれほど、ネパールの子供達にとって心を痛めることか。同じものでも、同じネパール人の手から分け与えられれば、彼らのプライドを傷つけないですむ。


相手が一番欲しがっているものを、相手の気持ちになって贈るのが布施というもの。自分の要らないものを、他に与えて満足する。それは相手のプライドを傷つけることにもなる。


さすが、仏に仕える管長、うまいことおっしゃると感心した。自分も案外こういうことをしてきたのではと.思い起こせば恥じ入るようなことばかりだ。ある時には部下に使い古したジャケットやネクタイをくれてやったり。またある時には気を遣ったつもりで商品券にして、果たして誠意が伝わったものかと心配したり。人に物を贈ることは本当に難しい。