男の本音 女の本音


雨の終末日曜といっても、お昼頃には上がっていかにも梅雨時らしい一日だった。明けたきょう月曜は青空だ。庭の片隅で蝶が羽を休めているかと思えば、遊歩道沿いの片隅では夏の花ミニヒマワリと秋の花コスモスが同時に咲いている。この地方に限って云えば雨が少なく、中休みの多い梅雨時ののんびりとした風景だ。



土曜日多治見で昼食を共にしながら11人の役員で先日の高校の同窓会の反省会。ある女性がこんな話をした。万一私の方が先立った時のことを考えて夫に料理の手ほどきをしようとしても、いざとなればするから大丈夫と逃げている。娘は父さん、米を洗う時洗剤使ったらダメだよなんて云っている。他の女性からウチもウチもとの声だ。あぁ〜、こんなこと云われているのは自分だけではないのだなと安堵の気持ちと云われている人への同情の気持ちで複雑な思いだ。


しかし、考えてみれば我々世代の主婦族の本音は明けても暮れても3食支度をしなければならない。友達と外食するときも夫の分の支度をして行かなければならない。そんな時くらい、自分で支度したらどうだ。と云いたいのではないだろうか。そのための手ほどきが主で本音ではなかろうか。万一の時に・・・というのは従で”よそ行き”の理屈ではないだろうか。


東京都議会でのセクハラまがいのヤジでは「男」の品を下げた。そして、本音では女性を一段と低く見ている。そんな意識が社会の中になお消えずに残っていることも、また否定しきれない事実であろう。その点、我々世代の主婦族は本音を上手に隠しながら、夫を掌でころがしているように思える。戦後の高度成長時代を支えながら生き抜いてきたパワーと年の功は見捨てたものではない。