ごきげんよう


きょう23日は二十四節気大暑。最も厳しい暑さの頃と云われるが、梅雨が明けたと思ったらホントにこの暑さ、猛暑日だ。もうこの時季になれば、サルスベリも木全体に花で覆われるような状態になってきている。遠目にもその存在がわかるようになってきた。


けさ、この夏初お目見えのカラスウリだ。丘陵地の畑の土手だ。朝も5時半過ぎだから、夜の営業を終えてレースは折りたたまれた状態だ。この花、夕方になると白い花を開く。花弁の先端が細い糸状になりレースのように見える。これを夜見ると神秘的にすら感じる。このように目立つ花になった理由は受粉のため夜行性の蛾を引き寄せるためらしい。


「花」に対する考え方は人さまざまだろうが一般的には「花」といえば美しさ、華やかさを感じるものだが、このカラスウリと蓮は別格のような気がする。カラスウリは神秘性、蓮は荘厳さを感じる。



昼間でも教師に会うと「おはようございます」。芸能界や夜の商売でもないのに、最近の大学生にこういう手合いが多いらしい。理由を聞くと、「こんにちは」では教師に向かって丁寧さを欠く。「おはようございます」だったら「ございます」で丁寧さを表現できる。ということらしい。


最近はテレビの朝ドラの影響か「ごきげんよう」を使うものもいるとか。そんなことを、ある大学教授が新聞のコラムに書いていたのを最近読んだ。その「ごきげんよう」だが、「花子とアン」を毎朝みているがどうも違和感がある。だからと云ってドラマの中で使うなというのだことではない。馴染めない部分があるのだ。


お嬢様学校だとかセレブの間で使われた「挨拶言葉」に庶民は馴染みが薄いので違和感を覚えるのだ。特に、個人同士の会話の中で、しかも出会った時に使う「ごきげんよう」に強く感じる。ナレーターの三輪明宏が毎回最後に云う「ごきげんよう」にはまったく違和感を感じない。


つまり、庶民には 別れのとき、相手に「ご機嫌よくお過ごしください」というのを略して「ごきげんよう」というのは、日常の姿なのだ。ところが、花子が出合ったときに使う「ごきげんよう」に馴染みが薄い。相手が不機嫌なら「ご機嫌よくなさっては」という意味であり、相手が普通もしくは調子がよさそうなら「ご機嫌がよろしくっていいですね」という意味で使うのである。


クマさんの「ごきげんよう」分析でした。 ごきげんよう