民俗学から介護施設での「聞き書き」


じりじりと焼けつくような太陽にせみしぐれ。今年一番の暑さだ。どれくらいの暑さかといえば、朝鮮半島の南北境界線の攻防だ。えっ?38度線の攻防だ。


きょう7月25日の誕生日の花はヒマワリとけさのラジオ深夜便は伝えていた。きょうのような暑さにヒマワりだなんて、そんな生易しいものでは、物足りない。炎がイメージされるカンナとかグロリオサがふさわしい。きょうのところは、モミジアオイグラジオラス、それぞれ炎のような色の象徴として登場だ。



介護の職場での人出不足が盛んに報じられている最中、きのうの朝日新聞デジタル版にこんなインタビュー記事が載っていた。40代半ばの女性民俗学者が研究・人間関係に行き詰まって大学を辞め、介護職員として沼津市で働き始めた。年寄りの言葉を「聞き書き」する独特の介護を続けて5年になるという。


聞き書き」を始めたのは、大正一桁、明治生まれの人から関東大震災のとき竹林に逃げたとか、「蚕の鑑別嬢」がメスとオス、日本種と中国種を分ける仕事で全国くまなく歩いた話など鮮明な体験を聞くことができ、「忘れられた日本人」に出会える場で、民俗学にとって宝庫と気づいてからだという。話をまとめたものは、家族の方たちに渡しているという。


介護とは食事・排泄・入浴を効率よく技術提供するサービスで「聞き書き」は介護でないという批判のある中での葛藤も随分あったという。彼女は主張する。介護はケアをする側、される側と云う関係。聞き書きを持ち込むと、聞く側、話す側という新しい関係が生まれ、対等にもなり逆転もして信頼関係が築かれて行き結果的にケアを良くして行く。そこに意味があると。


クマの目
介護現場での虐待などが報じられている。これは介護の世界が多くの人の目にさらされないで閉じられた世界だからだろう。もっと外に目を向けること、いろいろな経験を経た人に関心をもらって入ってもらうことが大事でないだろうか。彼女は、その先駆者のひとりと云っていいだろう。