無いものを嘆いても始まらない


昨夜華やかなスーパームーンのショーがあった天空も、けさはかなり雲の多い夜明けだ。それでも日中は日差しに恵まれ残暑厳しい一日。おとといの中秋の名月と比べるときのうのスーパームーンが地平線から昇って来るときの明るさは天変地異が起こるのでは思うような異常な明るさしかも黄金色のような色だった。(なぜ写真を撮らなかったかって?撮ったけれど失敗!それを聞くな)


ウォーキングでテニスコートが2面は十分とれるほどの広い空地の横を通る。今は雑草が生い茂り大人の背丈よりも高い雑草に覆われている。そんな雑草地と道路の間のわずかな隙間にどこから種が飛んで来たのかキバナコスモスが通りがかりの車の風に煽られて頭を揺らしている。まさに「掃き溜めに鶴」だ。



最近、あちらこちらである文化人類学者が「無いものを嘆いても始まらない。ここにあるもので、町おこしをしよう」
と講演などで提言しておられるそうだ。地方の人たちがこの言葉をキーワードにして動き始めたと言う。シャッター通りにある店舗を改造して工房にしたり、老人の集まるカフェにしたりするのがその一例だろう。


これって、一人の人間にも当てはまるのではないだろうか。「お金がない」「才能がない」「体が弱い」。無いものを数え上げたら切りがない。でも、「あるもの」を探せばいっぱい見つかる。住む家があって、家族がいて、友達がいて、今日食べるご飯があって・・・。ひょっとしたら「ないない」と思っていただけで、隠された偉大な才能があるかもしれない。それはただ、まだ探していないだけで。


クマの目
人間、やっぱ具体的に動かなきゃダメだ。具体的に動けば具体的な答えがでる。自分の期待通りの答えかどうかは別にして、具体的に動けば必ず具体的な答えが出る。