ハラハラドキドキの鉄道旅行

今シーズン一番の冷え込みの朝。北海道では雪のようだ。グラウンドゴルフも皆冬装束になった。きのうの強い北風は関東、近畿地方とも「木枯らし1号」だったようだ。
                                      

気象庁は「木枯らし」については”名古屋飛ばし”をしているので、この地方では「木枯らし1号」が発表されない。しかし、まさしくきのうは木枯しが吹いた。強い北風で電線が切れ、夕方4時頃から2時間ほどウチの並びの5軒が停電した。夕飯は外食を余儀なくされた。



欧州の列車の旅も日本と勝手が違って戸惑うことや、失敗することが多々ある。まず、駅で場内アナウンスがない。発車ベルが鳴らない。発車時間になると何の前触れもなく静かに動き出す。また、列車の乗降ドアは手動式で、乗降口付近にあるボタンを押すと開く。列車が発車すると自動的に閉じる。列車に乗り込む際もドアが開いてないと自分で開くことになる。


これにまつわる失敗談がある。ミラノからウィーンへの移動でのこと。まず、ミラノからFB(フレッチャビアンカ)1711でヴェネッチアに向かった。イタリアでは保線工事は列車を停めてするようだ。このためヴェネッチアの本土側最終駅メストレ駅で代行バスに乗り換えて3時間、イタリア、オーストリアスロベニアの国境の町フィラッハまで行き、そこからオーストリア最高級の高速列車RJ(レイルジェット)でウィーンに行く行程が組んであった。


このFBの乗客はヴェネッチア本島のサンタ・ルチア駅まで行く人たちばかりで、我々のように本土側最終駅メストレ駅で代行バスに乗るような客は誰もいなかった。のんびり構えていて気が付いたときが遅く、乗降ドアのボタンを一生懸命押すも無情にも列車は出てしまった。


ケガの功名でヴェネッチアでゴンドラ遊覧することができた。その間に保線工事も終わっており、ヴェネッチア・サンタ・ルチア発16時のウィーン行きの最終列車で着いたのは着いたのは日付の変わる頃。コンパートメントでふてくされて寝入る4人組だった。



日本の列車の時間の正確さには定評があるが、欧州ではあまりほめらられない。ウィーンからベルリンに移動するときのことだ。9時32分発のハンブルグ行きがウィーン駅を出発したのが何と11時20分。ただひたすら待つのみ。お詫びの放送があったとしてもドイツ語ではさっぱりわからない。


もっとひどいのは、この列車が突然プラハで打ち切り。プラハ発15時48分のベルリン行きに乗り換えろとドイツ語での放送。同じコンパートメントのオーストラリア人のおばさんが、乗換えだよと英語で教えてくれてやっとわかった。どのホームで待つのかもわからず右往左往だった。



3年前オーストリア第2の都市グラーツからウィーンまで列車に乗った時も、散々待たされ着いた列車が正規の列車より2時間前に到着するはずの列車だった。この列車はクロワチアのザブレグから来た列車だった。今回のウィーン駅でのハンブルグ行きはハンガリーから出た列車だった。こうしてみると、国際列車がひとつトラブルとなかなか小回りがきかず、遅れるのが常態化しているような気がする。


ヴェネッチア、ウィーン、プラハといった国際都市では多国籍の人が集まる。列車の案内などもう少し工夫があってもよさそうなものだ。プラハでベルリン行きに乗り換えた時の女性車掌に、前の列車で乗りかえの案内がなかったとクレームをつけたら、英語がわからないと逃げられた。



ベルリンの2階建て市内観光バスなど、1周約1時間何回でも乗降自由、10分間隔運転でひとり約1000円。21ヶ国語のイヤホーンガイドがついている。鉄道も、ハード面は立派でもソフト面でこの観光バス並みのきめこまかいサービスがあってもよさそうなものだ。日本の「おもてなし」は何事にも代えがたい日本の財産だ。つくづくそう思った。