東西ドイツ統一の日


10月3日ベルリンでの朝、この日も朝食前にホテルの周辺をひとりで散歩に出た。意外なことに、木曜の朝7時頃というのに片側3車線もある通りでも車の往来がまったくない。勿論人通りもない。旧東ドイツはこんなにも経済活動が停滞しているのかと、あらぬ想像までしていた。


朝食の際、同行のSがこんな話をしていた。昨夜洗濯をするのが面倒だったからクリーニングに出した。フロントであすは特別の日だからできないかもしれない。できたとしても割増料金になると云われた。それでも頼んだが、特別の日とは何だろう?朝食後ロビーに置いてある新聞の大きな見出しで合点。ドイツ統一の記念日で祝日だったのだ。翌日、チェックアウトの際クリーニング代の請求を見てSは目玉が飛び出すほどの驚きようだった。女房にも云えないと嘆いていたから、金額は伏せておこう。



フリータイムでシティーサークルツァーの観光バスに乗って、朝食前に危惧していたことも吹っ飛んだ。EUの牽引車であるドイツらしい活気あふれるドイツの一面を垣間見た。ベルリン中央駅前広場やポツダム広場などで開かれている統一記念の祝賀行事だ。おびただしい数の人達が集まっていた。


東西冷戦、ドイツ分断の象徴・ベルリンの壁が破壊され、24年前の10月3日に東西ドイツが統一されるまでの跡を辿りながら、ポツダム広場、ブランデンブルク門などの歴史的モニュメントを見学した。
 

                          


日本もドイツも互いに経済的には発展しても、とりわけ、経済格差のある社会主義体制の東ドイツ編入してEUのリーダーまでに登りつめたドイツに敬意を表しつつ、敗戦後70年経っても国連の場ではいつまでも「敗戦国」のレッテルを貼られたままの憂き目にあっている点で妙に親近感を感じた。


一方、おとといの毎日新聞の記事にこんな話題も載っていた。「ベルリンの壁崩壊後 東は悪 消えぬ感情」という見出しだ。「今月の世論調査によると、東独を「不法国家」と考える市民は旧西独地域で72%に上ったが、旧東独では30%にとどまり、意識の違いが浮き彫りになった。壁崩壊から四半世紀を経た今も、東独の「解釈」は微妙な問題であり続けている」と。「隣の芝生は青く見えるもの」人それぞれ、国それぞれに難題はつきもののようだ。


ドイツ統一の記念の日にたまたまベルリンに居合わせたのが縁で、普段考えてもみないこんなことを思いめぐらせた。