インフラの存在感


毎週土日はご近所さんとの朝のウォーキングは休みになるので、きのうの日曜は風も弱く日差しも暖かになったので車で約15分。万博記念公園の西ゲートから日本庭園、サツキとメイの家、林床花園にかけての林間コースの出張ウォーキングに出かけた。


日本庭園のかえで池に沿って林立する樹高5mはあるようなアメリカ楓はほとんど落葉、モミジは水辺で風当たりいい部分だけが紅葉しているといったような、紅葉の端境期の状態で少々期待外れ。


先日メイちゃんパパさんのブログで電力の送電線を新たに架設しようとすると10年の歳月と1km当たり5億円以上かかるということを初めて知った。我々にとって電気・ガス・水道と云ったインフラは物心がついた時からあまりにも当たり前の存在で空気のように思いがちだ。あのカキコでインフラの存在感をハッと気づかされた思いだった。


街中や郊外の道路にかかる歩道橋の存在も”あるのが当たり前”の風景でその存在意義が見直されてもいい時期に来ているのではないだろうか?以前から常々そんなことを思っていたところに、メイパパさんのブログや日経電子版の「歩道橋のリストラ」の記事に出くわした。その記事の内容は次のようだった。



札幌市には交通事故防止の目的で建設された48橋の歩道橋があり、その75%が建設後40年以上経っているという。少子高齢化社会の到来でその存在意義が揺らいでいるという。全体の1/4に当たる12橋が朝7時から夜7時までの12時間での利用児童数が10人以下だという調査結果も出ているという。


そこで、市当は利用者数に歩道橋の設置場所に応じた二つの条件を加えた三条件を基に14橋を撤去候補として住民との間の協議会を開いた。そして撤去に対して賛成者が多数となる歩道橋も出てきたという。5年間の維持費で撤去費用は出ると云われる。


空気のような存在で我々の生活基盤を支えてくれているインフラ、その舞台裏には大変な苦労があるということを痛感した。