ウソも百回云ったら本当になる


穏やかな晴天で暖かな小春日和となった。こんないい天気というのに朝から麻雀。お天道様に申し訳なく気兼ねしいしいのゲームではいい成績の残せるわけがない。来週は金沢に出かけるので、土日はお休みの日記も、きょう、あすは振り替えカキコだ。いつまで経っても抜けきらぬサラリーマン根性の性(さが)かな。


ウォーキングの沿道にある雑木林に短冊状に朱色のカラスウリがぶら下がっている。その長いつるを切ってウチの庭のアクセサリーにしている。真夏の夜から夜明けにかけてレース状に糸をのばして蛾を捕獲する、あの神秘的な花の実がこれなのだ。





おとといの日記のタイトルは「エールは人の為ならず」だった。朝の連ドラ「マッサン」。週ごとにタイトルが変わる。先週が「情けは人の為ならず」今週が「絵に描いた餅」来週が「虎穴に入らずんばこ虎子を得ず」と昔から使われていることわざが週間のタイトルになっている。


おとといの日記のタイトルは「情けは・・・・」をもじったものだ。打算ではなく、相手を励ます意味でもあり、人間関係を潤滑にする意味もあってエールを送ることは巡り巡って自分によい報いが来るという意味合いからだった。          


ところが、この「情けは人の為ならず」という言葉が、近年,親切にすることはその人の為によくない。と理解する人が多くなったといつぞや新聞で読んだ記憶がある。



本来、喜んですると云う意味の「やぶさかでない」を仕方なくすると理解する人の割合の方が多い。とか本来、眠らないでと云う意味の「まんじりともせず」をじっと動かないでと理解する人の割合の方が多い。そんなことも併せて書いてあった記憶だ。


これらのことが日本語の乱れと云うのかどうか専門家でないからわからないが、「ウソも百回云ったら本当になる」といわれる。多数の人が使って行くうちに間違った使い方も当たり前に通用して標準になることだってある。30年前にヘヤーヌードが雑誌のグラビアに載ることはとんでもないことだったが、今は当たり前になったように。


言語を研究したり、使うことを職とする人たちは別にして、一般庶民はその使い方にそう目くじらを立てることはないと思う。現にTPOさえわきまえさえすれば「アポとる」「事故る」「パニクる」日常会話だ。