昭和は遠くになりにけり Ⅱ


きのうは茨城のつくば市までトンボ帰りで遅い帰りとなって日記を休んでしまった。親せきの不幸があり「別れの会」への参列だった。1泊して翌日は久しぶりの東京を楽しむ予定だったが、カミさんが風邪をひいたため止むを得ず日帰りとなった。


まったくの”おのぼりさん”だ。新幹線ってこんなに早かったのか。朝7時50分に名古屋を出たら9時半には東京に着く。N700系には初めて乗った。鉄っちゃん的にいえばN700A系のはずだ。座席の間隔が広い。乗り心地は快適だ。ユーロスターTGVの1等車より新幹線の普通車の方がよっぽどましだ。この秋欧州の鉄道行脚したが、改めて日本の新幹線のすばらしさを見直した。



秋葉原から3セクつくばエクスプレス」快速で45分つくばに着く。みよしを7時に出て11時前に茨城県に着くのだ。学生時代にゼミのハイキングか何かで筑波山に来たことがあったがその当時とは別世界の感じだ。山野を切り開いた広大な土地に大学やその関連研究機関が配置され、だだっ広い道路が縦横に走っている。そんな中につくば駅がある。                                                  


タクシーの運転手さんが、しみじみと語っていた。田中角栄の列島改造論のおかげで、このような街が出来、9年前から電車も走って、地元で働き口ができた。東京消防庁で働いていたが地元に戻り、親の面倒をみている。と。




現役時代、東京日帰り出張ということもしばしばあった。今では、茨城県へも楽に日帰りできるようになった。学生時代の上京・帰省での行き来のことを思い起こすと感慨ひとしおだ。名古屋を朝7時頃に出る準急東海号が東京駅に着くのは午後1時半か2時頃だった記憶だ。学割で700数十円。浜松でうなぎ弁当が150〜160円。これが昼飯だった。千円でおつりがあった。


帰省のときよく使ったのが、急行なにわだった。東京を9時か10時頃にでて名古屋に午後4時少し前についた、大阪行きだ。この電車にはビュッフェがあって立ち食いの寿司コーナーがあった。多治見の友人と一緒に帰省するときはいつも生意気に黒ビールをやりながら寿司をつまんでいた。卒業の年に新幹線開業で、上京・帰省に新幹線を使うことはなかった。久方ぶりの上京で前日のカキコに引き続き「昭和は遠くになりにけり」の感慨に浸った。