棄権


青空が広がったが、風が冷たい一日だ。このところの好天続きで庭の八朔も”らしい”色、形になってきた。収穫時期は毎年1月中、下旬だ。食べられるのは2月下旬から3月だ。そもそも「八朔」とは、旧暦の8月朔日、8月1日のことだが、何の縁があってこんな名前がついたのだろう?


年も押し迫って来ると、町内の組織・団体・サークルの来年度の役員の人選が慌ただしくなってくる。誰しも加入している組織からのサービスは受けたいが、サービスを提供する側にはなりたくない。かといって、カネも出したくない。加えて皆高齢化している。人選が難航するのは当然の成り行きだ。午前中に、そんな相談事の寄合があった。



きょうの寄合は、そんなことはなかったが、えてしてこのような寄合に欠席した者が決まったことにクレームをつけるといったようなことが起こりがちだ。云いたいことがあれば出席して堂々と意見を述べればいいものを・・・。欠席した者が、その場の結果を語る資格はないのだ。


こうしたことは、今回の衆院選を棄権した有権者にも当てはまることだと思う。極めて重要な権利を行使しなかった者は、権利を放棄したと云える。つまり、「白紙委任」したということになる。マスコミは争点がないだとか、選挙時期が悪いなどと分析するが、政治情勢がどうあれ、選挙の時期がいつであれ、投票に行かない有権者が一番悪いのだ。投票に行かなかった者が選挙後、政治を語る資格はないのだ。