道徳教育


乾燥した冬晴れ。相変わらず風が強い。毎年今頃になるとノースポールが庭の花壇全体を覆い尽くすほど咲くが、今年はさっぱりだ。何にせよ、手抜きばかりしていると、こうなるという典型だ。あちこちでぽつり、ぽつりの程度だ。白い花が株全体を覆うほどに咲くことから「北極」のイメージが連想され「ノースポール(北極)」のネーミングとなったそうだ。キク科でマーガレットより少し小型だ。


古い新聞を片付けていたら、こんな記事が目についた。12月13日の夕刊だ。地下鉄鶴舞線上小田井駅で午前5時15分ころ始発前の点検の際、止めてあった車両の側面などに1.5m×4mにわたりカラースプレーでアルファベットのような落書きを車掌が見つけた。そのままの状態で赤池駅まで運行した。車両基地で落書きを消すと共に、県警に被害届を出した。  ざっと、こんな内容だった。



昨秋欧州鉄道旅行した際、至る所とりわけドイツとイタリアのローカル列車の落書きは目に余るものだった。ドイツなどでは無人へりを飛ばして落書き現場を押さえる対策をしているという。こうしてみると、鶴舞線の落書きが新聞記事になるくらいだから日本人の公徳心は世界に誇れるだろう。


年末にご近所さん宅で4家族が集まり鍋を囲んだ。そのとき、何の話題に関連してだったか記憶にないが、道徳教育必要論で話が盛り上がった。内容は酒の上の話だけに他愛もないことだった。冷静になって今考えてみると奥が深いものがある。


日本人は人を殺すな、他人の物を盗むな、といったような古今東西において共通する道徳、つまり社会秩序の鉄則である公徳心は世界に誇れると思う。しかし、自分が判断して実行する道徳心は不得手というか訓練不足ではないだろうか? 例えば、火事のとき文化財級の仏像をまず救うか、病気で呑み助で鼻つまみ者の男をまず救うか?                                                       


正解のない生き方を学ぶ訓練や偉人の伝記を読んだりすることが本当の意味の道徳教育ではないだろうか。道徳教育は一定の価値観の押しつけと批判する勢力があるが決してそんなことにはならないと思うが・・・。鶴舞線の落書き電車のちっぽけな記事が、「風が吹けばおけ屋が儲かる」式に、道徳教育まで延びてしまった。