「作ってナンボ」「売れてナンボ」


寒九の雨もあがって、いつもながらの冬空が戻った。きのうの荒れた天気の後だけに、丘陵地の畑の菜の花が一層美しく輝いて見え春の訪れを示唆しているようだ。あざぶの丘公園の池べりにあるネコヤナギ、細かい冬芽が出ている中でたった一つだけフライングしたのか、銀白色の毛で目立つ花穂に育ちこの冷たさの中で、じっと耐えていた。誰が見ても、もう猫の尾だ。


朝の連ドラマッサン。日本で本場スコッチウィスキーを作ることをめざしているが、大将の命でスコッチと違う日本人の口に合うウィスキーを不本意ながら作ったが売れない。技術者のあくなき探究心が大将と袂を分かち、北海道余市で日本のスコッチ作りを駆り立てた。現在、この辺りを進行中だ。




シクラメンのかほり」を作詞、作曲した小椋佳が以前ラジオのインタビューでこのヒット曲が生まれた裏話を披露していた。その詳しいことは省くが、実際にはあり得ないことをふたつ承知の上で詩の中に入れた。ひとつは、シクラメンに香りなどない。もうひとつは三番の出だし♪うす紫のシクラメンほど  淋しいものはない の紫のシクラメンはない。と。ところが、歌のヒットとともに香りのあるシクラメンもうす紫のシクラメンも開発されてしまったそうだ。


豊かさと至便さを追い求める人間の欲を満たすために科学技術は想像を絶する進歩を遂げ、ついには自然界に挑発的な行為を繰り返すまでになった。少しでも思うがままの生活をしたいという日常的な欲望が科学技術を大きく進歩させる原動力であったことは間違いない。加えて、マッサンに見られるような科学技術者のあくなき探究心があってこそ日本人科学者が青色発光ダイオードノーベル賞まで受賞したのだ。                                                             


マッサンも「出来上がってナンボ」の技術者の世界と「売れてナンボ」の営業の世界の狭間で相当苦しんだだろう。技術の世界が突出すると、このマシーンはこんなこともできる、あんなこともできると、使いもしない機能をやたらと付けて得意になりがちだ。この辺で時代や科学技術に追い立てられることのない穏やかな時も必要でないか?科学技術オンチの年寄りの”たわごと”かもしれないが・・・。日本の科学技術は世界で二番目ではダメ、一番でないといけないのだと云われることを承知の上で。