立春 夜明けの月


きのうに続き「立春」にふさわしい穏やかな晴れの日。あすは雪の予報だ。まるで「立春」のご祝儀天気みたいだ。きのうの朝のラジオで夜明けの月が美しいと盛んに云っていた。ならば、きょうも・・・と早起き。5時20分西の空。月明かりが、まるで照明弾のようだ。豊明方面の街の灯りが澄んだ空気でくっきりと浮かび上がってみえる。


東の空が白みがかる6時にもなると月は西の地平線にうんと傾き、表面の色がだんだん赤みを帯びてくる。これは、不吉な予感でもなんでもないそうだ。地平線近くの月から発せられる光は、大気を通過する距離が長くなるからという科学的な根拠があるらしい。



立春のけさ眺める月は、冷たい風に震えながらも澄んだ空や赤い月に感動し、余裕をもってシャッターを押すことができる。20年前のこの日の早朝に眺める月だったら、その年の春闘に対する決意を秘めて祈る思いだっただろう。


「月月に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」  これは旧暦8月15日の中秋の名月を称えた、詠み人知らずの歌。一年中、月を愛でる月は有るけど、名月を愛でる月と言えば、今月のこの月だ。と云ったところか。万葉の昔の人々も同じだ。子供の頃月見だんごに思いを込めて名月を眺めた人が、成人して同じ月を眺めるにしても、こんなにいい月なのに彼女が来てくれないと嘆き節かもしれない。


宇宙が誕生して以来、毎年同じ日に太陽と地球と月の位置関係は物理的に同じで何ら変わることはない。変わるのは月なり風景を見る人の心なのだ。二度と出会えないのは、あの日の月なり風景ではなく、あの日の人の心なのだ。そう考えると、日常の一瞬、一瞬を疎かにできない。


しかし、そこまで考えると息がつまる。そこで、「そういうことにもなるわなぁ。考えておきましょう」と結論づけよう。「考えておきましょう」は便利な言葉だ。