古川美術館


きのうに引き続き日中に小雪が舞う寒さ。夕方には青空が覗き、風も穏やかで快方に向かっているかのようだった。かと思えば、夕日の沈む西の空は黒い雪雲。不気味な色の夕日、不吉なことを予感させるような西の空だった。


生涯学習講座、4回シリーズの「すてきな午後の美術館散策」の第1回のきょうは名古屋・池下の古川美術館。名古屋の異色の実業家、古川為三郎の生誕125年を記念しての企画展「実業家の眼 愛蔵の美」でコレクションの絵画・刀剣・茶道具などを鑑賞した。



彼は宝石商から身を興し一代で日本を代表する映画配給会社日本ヘラルドへと育て上げ、数々の事業を手掛け103歳で没した。昭和10年代より刀剣の蒐集を皮切りに、現在の古川美術館の礎となる2800点に上るコレクションを築き上げた。実業家として厳しい道のりを歩んだ爲三郎は雄大な自然を描いた作品は勿論、自身の精神を奮い立たせるに相応しい日本一の富士を好み、特に横山大観の富士を好んだ。




その一方で、日々の安らぎとして、上村松園の女性美や前田青邨らの近現代巨匠の花鳥画を始め、中川一政らの洋画などで美との語らいの時間を大切にした。またコレクションの茶道具は、長寿の秘訣として毎日欠かさずに抹茶を嗜んでいた爲三郎の愛蔵のもの。特に、荒川豊蔵抹茶茶碗を好んだと云う。



103歳で天寿を全うするまでここを終(つい)のすみかとした古川爲三郎の「創建時の数寄の姿をとどめる邸宅を皆様の憩いの場に」という遺志により 平成7年から為三郎記念館として広く公開するようになった。


為三郎記念館は、 急勾配の斜面に建てられた数寄屋造りの母屋「爲春亭(いしゅんてい)」と、 椎の木が茂り、四季折々の美しさをみせる日本庭園、 そしてその中にひっそりとたたずむ茶室「知足庵(ちそくあん)」から成り立っている。



絵画を初めとする芸術には疎い自分だが、テレビの「なんでも鑑定団」をライブでみる感覚で鑑賞した気分だ。肩に力を入れることなく、リラックスして鑑賞できた。学芸員さんの解説も作品とコレクターの結びつきを詳しく話してくれて、古川為三郎の人となりを改めて見直した。


30数年前、猿投山の山麓に猿投温泉金泉閣が開業し併せて、古川が金閣寺をここに建てるということで地元では大変評判になったが、いつまでたっても建設されず評判を落としたことがあった。あれは、きっと風評に過ぎなかっただろうと改めて思った。