「の」の1字の力


早朝のウォーキングの道すがら、日陰になっている畑ではこんな霜柱が見られるような冬景色。だが真冬の霜柱とは違い、日が昇るにつれて柱が崩れ、消えてしまう。お昼前に通りかかった時には、まったく消えていた。早朝はユーミンの「春よ 来い」の世界だったのが、お昼前にはキャンディーズの「春一番」の世界に変わっていたようなきょうの「建国記念の日」。


建国記念の日」といえば、市のバスに乗って古川美術館へ行ったきのうの講座でのことだ。一番後部の座席で自分も含めて3人が雑談をしていた。Bさんが明日は何の日だったかというので、自分が「建国記念日」と答えた。すかさず、Aさんが「建国記念の日」だと云い直して付け加えた。



記念日とは、はっきり日付がわかっていて、ズバリその日でないとだめなもの。 特に、「建国記念の日」は、 日本という国がはっきりと何月何日にできた、とは分からないので、 決して記念日になることはない。


2月11日は、戦前には「紀元節」と云われた。これは、神話の「神武天皇即位の日」とされる日で、国民に天皇を神として崇めさせる日だった。これが日本を軍国主義に走らせたとして戦後、GHQ の意向で祝日から削除された。            


しかしその後、紀元節を復活させようという動きが高まり、反対する動きを抑え建国を記念するための祝日として「建国記念の日」を設けることになった。ざっとこんなことを熱っぽく語った。



たった1字「の」が「建国記念日」にこだわる守旧派軍国主義につながる亡霊をブチ壊したい革新派を妥協させてしまった感がある。「の」の字は大した奴だ。


熱っぽく語ったAさんから最後にあす11日、憲法9条を守る会の集会に誘われた。ノーベル平和賞はいらん、と断った。