だまし絵展


きのうの日中は庭のガーデンチェアーが倒されるほど吹き荒れて小雪が舞って日が暮れた。目覚めれば雪化粧の四つ池周辺。誰の詠んだ句だったか忘れたが、「春の雪風ふきあれて日の暮るる」。きのうから今朝にかけては、こんな句が思い出されるほどの世界だった。


午後、公民館で7人ほどの会議。2時46分にある出席者の携帯からアラーム。携帯の持ち主がいう。3.11の黙祷の時間だ。みんなもやってくれ。と。彼は4月から老人クラブの会長をやってくれる。こんな人物に任せておけばと安堵の黙祷だった。


きのうの生涯学習講座「素敵な午後の美術館散策」は名古屋市美術館で開かれている企画展「だまし絵」だった。5年前に開かれた第1回の続編で、主に20世紀以降に登場した作品が紹介されている。見る者の目を欺くような仕掛けを持つ作品が、絵画だけでなく彫刻や写真、映像に領域を広げたかたちで展示されている。



この作品、本になってしまった「本の虫」は実在の博学な人物を茶化したもの。ひげは埃はたき、指は本のしおりだ。中世の古典的なだまし絵。                                              


20世紀に入り科学技術の世界がそうであるように、美術の世界でも様々な技術革新がなされ、写真、コンピュータの普及によって自由で多様になり、見たことのないような驚きと同時に何とも理解し難いような視覚効果を持った作品が、新しい手法と発想によって展示されている。



この作品、凹凸のある立体絵画。ただし遠景が壁面から前方に突出している逆遠近法。観る側が動くと絵は異常な動きを見せる。


科学者が深奥な理論を究めるために、これでもか、これでもかと実験を繰り返すようにだまし絵の芸術家はこんな表現の仕方もある、あんな表現の仕方もあると新しい手法と発想の試行錯誤を繰り返していることだろう。その結果、科学の世界では神の摂理を侵すような試みがなされたり、ITオンチには使いこなせないようなIT機器が世にはびこっているのではないか。


だまし絵の世界では「ほぅ、そうか。よくできている。それが、いったいどうしたというのだ」あるいは「これはお遊びの延長線上ではないか」浅学菲才の自分には、残念ながらそうとしか思えない作品が何と多いことか。改めて自らの菲才浅学を恥じ入るばかりだ。