清州城

春本番、桜も見頃、あいにくの花の雨。それでも、計画の言い出しっぺから雨キャンもできず、老人クラブの日帰りバス旅行の下見に行った。一行4人はR153を植田から名二環で清州へ向かい、キリンビールの名古屋工場と清州城へ。


キリンビール名古屋工場は二度目だ。15,6年前に見学と試飲した時と比べても、また三度見学したことのあるアサヒビールの名古屋工場と比べても訴求力のあるプレゼンテーションをしている。洗練されている。


もう一つの見学地清須城と清須公園はキリンビールから10分ほどの距離。恥ずかしながら、ここへ来るのは初めてだ。市のバスだからガイドがいるわけでもなし。引率者としての責任上、下見をしておかないと不安だったので雨キャンもせず来た次第。県内では有名な五条川の桜がいま満開。清須城と清須公園はその川沿いにある。



これだけの老大木の桜並木があっても、どうも感動がない。雨のせいもあるだろう。屋台の店主が云っていた。ここの桜は年のせいで花の色がよくない。と。それもあるだろうが、どこか物足りない。この桜を引き立たせる舞台がないのだ。同じ五条川の桜でも岩倉のそれは狭い川の両岸から川を覆いかぶさるように枝が延び、散るときの花筏は風情がある。


かつて城のあった一帯は、新幹線、JR東海道線名鉄城北線の鉄道と名古屋高速、名二環の高速道路にズタズタに分断されてしまっている。これでは桜を引き立たせる舞台にはならないだろう。物足りないのはその辺ではないだろうか。



この清須城もがっかりした。文献があって復元したものではなく、町制100周年の際、実在した当時を想像して建てたものと聞いたからだ。そもそも、この城自体が数奇な運命をたどっている。織田信長桶狭間の戦の際この城から出陣したことで有名であるが、美濃国斎藤氏との戦に備えて小牧山城に移ってしまった。


信長の死後、福島正則の居城になったりしたが徳川義直が入城した後に城下町は名古屋城下に移転して、廃城になってしまった。こうしてみると、清須城は信長の時代から廃城になって今に至るまで歴史に翻弄され続けているような気がする。