腕時計? 情報端末?


「風の3月」「雨降る4月」と云われるように春の空は定まりにくい。特に、きょうなど照ったり降ったりの一日。ラジオ深夜便によると、きのう14日の誕生日の花はマーガレットだった。この定まらぬ天候のもとで、ノースポールと肩をならべると色・花の大きさこそ違うが、まるで兄弟のような顔をして庭に咲いている。


中学生の頃、「きょうは何日だった?」とか「何曜日だった?」と問われると左腕をぐっとあげて腕時計を見るふりをして、答えるのが流行っていた。もちろんその当時中学生が腕時計を持っているわけでもなく、まして時計で日や曜日がわかるわけでもなかった。腕時計のバンドに小さなカレンダーを取り付けて、日も曜日も時間も同時に見ることができるようになったのは、社会人になってからではなかっただろうか。



中学生の頃のあのしぐさは、腕時計が大人の証しが欲しかったという表れではなかったかと思う。そして、高度成長時代、バブル時代には腕時計やライターがステイタスの象徴にもなっていた。ところが最近、若者に時計をしない人が増えているという。時間なら携帯電話で確認できるからだ。


耳たぶに穴をあけさせてまで新商品を開拓する商魂からしたら、空いた手首は格好のねらい目だっただろう。米アップル社が「アップルウォッチ」を発売することが先日報じられていた。単なる時計ではなく高機能の情報端末だという。脈拍測定など健康管理にも役立つそうだ。


ITオンチのおじさんには、時計売り場で買えるものか情報機器売り場で買えるものかそれすらわからない。ただわかっているのは、車が便利には違いないが使い方を間違えると走る凶器になるように、便利さの裏に何かが潜んでいることだ。これを手首に巻くには余程知恵を磨かねばなるまい。