東北震災支援歌「花は咲く」


昨夜は毎月定例の名古屋での飲み会。久しぶりの午前様。出かける前に日記をカキコしておいたので、何だか重しがとれたみたいでついつい気楽になってしまうのだ。それほどまでに日記に拘束されている自分がみじめになってくる。だけど、それがやめられないんだよなぁ。意地でカキコしているみたいなクマさんの日記だ。


朝から青空だが薄い雲がかかって、だんだんと曇り空。どうも下り坂だ。朝から大発見した気分で心がうきうきしている。何の発見かというと、ウチの南側遊歩道の階段沿いの私有地に3本の玉ツゲがある。植えて20年になる。ほぼ毎年自分で刈込をしている。今朝その刈込をしていて玉ツゲに花が咲いているのを発見したのだ。花の直径は2.3mmだ。



樹木であれば大なり小なり花が咲くのは当たり前のことだろうが、20年この方面倒見てきてそれに気が付かなかったことが情けない。緑化センターの季節の花めぐりなどに参加して、こうしたことに関心を持つようになったことが発見させたのだろう。昨年だったか一昨年だったかに柿の花を見つけた時と同じような感動だ。


きのうもきょうも「花が咲く」カキコになってしまった。おとといの同窓会であの長い「花は咲く」を何度も唄ったのがいつまでも頭の中に残っているからだろう。きのうの二次会のカラオケでも、いくらまわりで退廃的な歌を唄っても(大治のMさん失礼)この「花は咲く」が頭から離れなかった。



この「花は咲く」の歌詞はいったい、だれが誰に歌っているのだろうか考えてみた。

真っ白な 雪道に 春風薫る / わたしは なつかしい / あの街を 思い出す


あの震災で死んだ私は春風の薫る雪道となつかしい街を今思い出している。

            (中略)

花は 花は 花は咲く / いつか生まれる君に / 花は 花は 花は咲く / 私は何を残しただろう


これから先いつか生まれてくる君のために花は咲く。それにしても私は、この世に生を授かり悔いなく生きて来ただろうか。私はもっと生きていたかった。




震災で亡くなった人が、生き残った人、これから生まれてくる人に語りかけている歌だと思えば、上述のように解釈できるのではないだろか。まさしく東北震災支援歌だ。


そう思うと、この歌に愛着がわく。が、カラオケで唄うにはおじさんには難しい。