人と人つなぐ「ありがとう」


6月というのにこんなカラッとした思い切り快適な日があってもいいかと思うような一日だった。これは、やがて来るじめじめした梅雨に対する償いの天から与えられたサービスかもしれない。


梅雨と云えばまず連想されるのが「紫陽花」。もう隣の近畿までが梅雨入りして、ウチの庭の紫陽花もいつ梅雨入りしても準備OKといったところだ。いま流行の紫陽花はない。昔からのものばかりだが、賑やかになってきた。



今週の月曜地下鉄を利用して名古屋に行った際の出来事。三好丘から八事へ出て名城線に乗り換えた。夕方4時半過ぎで学生の帰りの時間、車内は肩が触れ合うほどの混み具合。優先席には男子高校生が3人座っていた。後から乗り込んできた人に押し込まれて優先席の前まで行くと、そこに座っていた真面目そうな顔の高校生が年寄りのおじさんが前に来たがどうしようかと”もじもじ”し始めた。




彼は「どうぞ」といって小生に席を譲るのが照れくさくて”もじもじ”しているだろうと思って、小生その高校生に手で会釈しながら「ありがとう」。彼は、にっこりして席を立ち譲ってくれた。彼はどうしようかと思っていたところをおじさんの「ありがとう」の一言でふんぎりがついて救われた。おじさんは、せっかく席を譲ろうとしてためらっている彼の背中を後押ししてやってよかったという安堵感と席に座ることが出来た安堵感の二重の安堵感。


ひねくれ者はこの話に対して、お前は高校生に座らせてくれと請求しただけの話でないかというかもしれない。おじさんは素直に受け止めたい。人と人は「ありがとう」のたった一言でいつでもつながっていると。