違憲・合憲論議より・・・


けさのラジオ深夜便、6月15日きょうの誕生日の花は紫陽花と伝えていた。雨に似合う花だが、幸か不幸か週末から明けのきょうにかけては雨はなし。土曜の早朝、雨はなくても丘陵地の畑の土手に昇って来たばかりの朝日に照らされる紫色の顎紫陽花(ガクアジサイ)は、はっと息を飲むような美しさだ。紫陽花は字の如く紫がいい。



ラジオ深夜便に続く「マイあさラジオ」のきょうは何の日のコーナーで55年前のきょう6月15日は60年安保闘争の国会議事堂デモで女子学生が亡くなった日であることを伝えていた。当時ノンポリ学生だった自分は麻雀をしながらテレビでそれを知った。


麻雀そっちのけで、4人がやじ馬で議事堂にかけつけた。機動隊に追いかけられ、這う這うの体で地下鉄霞ヶ関の駅に逃げ込んだ。あれから、もう55年になる。きのうのことのように鮮明に思い出される。

(10日の時の記念日にはまだ咲いていなかったトケイソウ。遅刻デビューだ。)



安保絡みの話になるが、国会で審議中の集団的自衛権の行使容認をめぐって、憲法解釈の対立が続いている。審議のやりとりを見聞きしていると熊さん八っあんのみならず大方の人は茶の木畠に入り込むだろう。そこは専門家に任せるとしよう。ただ、憲法審査会で自民党推薦の憲法学者までが違憲を明言したことに野党が鬼の首を取ったようにはしゃいでいることには疑問を感じる。


改めて憲法9条の第二項を読んでみた。「(戦争放棄と云う目的を達するため)陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」憲法学者集団的自衛権行使が違憲か合憲の二者択一の回答を求められれば違憲と云うだろう。民主党推薦の学者も違憲論者だが、この人は違憲だから9条を改正と主張する人なのだ。



学者の理論が万能だったら、経済学者はみな金儲けがうまいはずだ。そんなことは、ありえない。理論と実務は別物である。自衛隊の存在がいい例だ。理論的には違憲だが政治の介入によつて合法的な手続きで当時の社会党でさえ「違憲合法」の存在として認めて来たのだ。


与野党違憲・合憲と不毛の議論をするより、中国の脅威や北朝鮮の暴発と云った安全保障環境の変化に対してどうしたら国民の生命と財産を守って行けるかを野党も対案を出して議論をしてほしいものだ。