木を見て森を見ず


午前中は青空が広がっていたが、午後には接近中の台風の影響で突然スコールが来たり日が照り出したりの不安定の様相だ。今度の台風、グァムかサイパンあたりで発生して潮岬を目指して編隊を組んでやってくる米軍の爆撃機のように思えてならない。昔米軍、今台風。なされるままで何の手出しもできない。


それにしても暑い。写真のグロリオサを見ると余計暑くなる。まるで「炎」という字に見える。そのはずだ。別名炎のユリとかきつねのユリだそうだ。畑に庭に路傍に秋まで咲いている。



きょう15日の誕生日の花は「ネムの木」だ。淡紅色のおしべが長く美しい。日光が当たらないと育たないのでそれぞれの花は少しでも上に上にと伸びる。高台から眺めたネムの木の群生の様は見事だ。(写真下)一花ごとの美しさに心を奪われていると群生の美しさを見落としてしまう。


「木を見て森を見ず」とはこのことだろう。今国内が沸き返っている二つの問題は煎じつめればこの「木を見て・・・」とその逆の「森を見て木を見ず」に象徴されるだろう。



一つ目は安保法制。きょう委員会採決が通過して、あす衆院で採決だ。法案を国民の8割が理解できてないとの世論調査も当然のことだ。安保法制を家づくりに例えるなら、この家はどんなコンセプトで設計されどんな機能があるかなどと云った議論がなされず、基礎工事のちまちましたことばかりの議論に終始。まさに、「木を見て森を見ず」だ。


二つ目は新国立競技場。こちらは「森を見て木を見ず」だ。森には二つの意味が含まれる。一つはあの奇抜な競技場。もう一つは森元総理。奇抜なデザインに惑わされたのと、森さんを見たら誰も彼の首に鈴を付けに行ける人がいなくて具体策がいい加減なものになってしまったのだろう。責任のなすりつけ合いは見苦しい。