町の過疎化


のろまな台風が接近中。今夜には四国に上陸とか。こんな天気で朝から一歩も外出することなしだ。今週はわけあってウォーキングも全休。おかげで日記にアップする写真の手持ちがなくなり、ネットから失敬と相成り候。


いま京都では祇園祭が行われている。祇園まつりといえば、郷里多治見でもこの時季に行われ、商店街がささ竹に吊るされた赤い提灯で埋め尽くされたものだ。中学・高校時代は、この時期がちょうど期末試験。華やかな提灯と人出でごった返す外の様子をチラチラと眺めながら試験勉強をしたことが思い出される。




同級生の主宰する多治見の週刊コミュニティー紙の先週号が伝えていた。まちなかの過疎化は深刻で、各町内で行われてきた祇園まつりや秋葉様ができなくなっていると。考えてみれば、実家も含めて今やシャッター通りやら、商店がマンションに建て替えられている。祭りが出来るわけがない。


同紙はさらに言及して、動けない年寄りばかりになりつつある町内会組織に出来ない仕事を当たり前のように押し付ける行政側のやり方の見直しを迫っていた。これは、決して他所事ではない。わが町内会でも来年には自分に2回目の役員がまわってくる。後期高齢者のジジババで役目を果たせるか?二世代同居家庭なら若い衆に任せればいい。ウチのようなケースはわが地域の随所で出て来ることだ。多治見で抱える問題もみよしのそれも根は同じだ。