もの思う秋


天気のいい日、めでたい日といい日ばかりが続く。2日続きのノーベル賞受賞の朗報だ。医学・生理学賞受賞の先生の功績はアフリカで風土病で苦しむ何億もの人々の命を救ったことでよく理解できる。物理学賞受賞の先生の業績は宇宙の謎かそれとも1mmの1千兆分の1の素粒子とやらの謎なのか理解不能だ。でも、とにかくめでたい。


去年の今頃ストックホルムの市庁舎を訪れた。この市庁舎の中にノーベル賞受賞記念晩餐会が開かれるホールがあり、英語ガイド付きで見学ツアーがある。スタート時間までに1時間もあったので見学を断念した。去年は帰国した日に日本人3人の物理学賞受賞の報、今年は今のところ2人。この先毎年ノーベル賞受賞者の発表があるたびに、あのとき1時間待っても見学しておけばよかったと悔やむことだろう。



あす8日は二十四節気の「寒露」だ。秋が深まった頃に草花につく冷たい露のことで、本格的な秋が始まる節目の頃だ。わが家の庭の緑のカーテンのゴーヤも、人の背丈より大きくなったオクラもまだ夏の名残を楽しんでいるかのように元気いっぱいだ。そろそろ、わが家の周囲も秋冬モードに切り替えようか。


先日ピアノ業者に金を払ってピアノを引き取ってもらった。型が古い上、調律状態もよくない。買い取ることはできない。カネを出したら処分してやるとのことだ。ごもっとも。と従った。これも、先日のこと。庭の木が大きくなりすぎたり、枯れたりしている。もう、面倒見切れないから、垣根と2本の柿を残して、落葉した時期に全部切ってもらうことにした。あれも、これも”老い仕舞い”の一環と思うと人生寂しさが募る。



灼熱の太陽の下で、たった1日で10数cmは伸びるオクラ、鈴なりになって生長して行くゴーヤ。そんな華々しい時季も秋風とともに衰え、その終末を迎えようとしている。わが家のゴーヤもオクラも、今余生を楽しんでいるようにみえる。


そんな姿が、わが人生に重なるものだからバッサリとオクラを伐採したり、ゴーヤのネットをはずすのにいつまでも躊躇しているきょうこの頃だ。あした7日の「寒露」がバッサリを思い切るきっかけとなるだろう。