姨捨山

秋晴れの一日。好天に誘われて豊田からカミさんの友人がやってきて茶飲み話。


彼女は長男の嫁。義母が北関東で一人住まい。夫の兄弟が義母の近くに住んでいて面倒をみていたそうだ。その兄弟も老々介護で義母の面倒がみられなくなった。義母は長男のもとへは来たがらない。だからといって遠距離介護もまっぴらごめん。よくある話だ。彼女はせつせつと話す。


結局は長男である夫が金を出して義母の嫌がる老人ホームへいれてしまったとのこと。最初は嫌がっていた義母も友人ができてよろこんでおられるそうだ。気が楽になった彼女はそれを話したくてやってきたようだ。今は心おきなく趣味に精を出しふたつの教室の講師までやっている。写真は彼女の個展の作品だ。



自分の世代だと、親を老人ホームへ入れるなんていうことは「姥捨て山」へやるような感覚でいる。正確に云えば、ここ、2,3年前まではそう思っていた。自宅で長男の嫁が介護するのが美徳であると言った感覚である。「人生がいつ終わってもいいように、今を如何に楽しむかが大事だ」だなどと言って金で始末をつけるようなことはとてもでないが受け入れ難い。確かにそんな感覚でいた。


翻ってわがカミさん。90歳になる母親の面倒をみている兄嫁からカミさんにボヤキの電話がかかるたびにカミさんも「美徳」と「金で始末」の狭間で心が揺らいでいるのがはっきりと見て取れた。3年前兄妹4人で相談の結果施設に入れることに決めた。母親は施設に馴染むのに時間はかかったがけっこう喜んでいたようだ。兄嫁には生気が蘇ったようだ。その母親も93歳で4月に旅立った。



考えてみれば、自分の父親は51歳、母親は64歳で他界している。人生50年の時代の「姨捨て山」と今の4人に一人が65歳以上の時代とでは世間に吹く”風”が全く違っている。女性も外で働く時代、それぞれの人が自分の人生を大事にする時代だ。


クマさん、そんな評論家みたいなことを云っている場合でないぞ。自分たち夫婦のことを考えろよ。娘ばかり3人では面倒をみてくれる長男の嫁なんていないよ。世の中には4人の親の送り方を考えるのと並行して自分たちの送られ方を考えなければいけない人が大勢いると思うが、ウチは幸か不幸か前者が済んだ。だから、後者をこれから考えるさ。