400年かかって出た知恵


終末から週明け、そして今週も予報では好天が続くようだ。これだけ続くと何か異変が起きやしないかと心配になるほどだ。朝のウォーキングも連日気分爽快だ。朝日を受けて輝くクサギが美しい。つい2ヶ月前、清楚な白い花だったものが見事な変身だ。これぞ、季節の移ろい。クサギの定点観察だ。


きのう18日の誕生日の花はホトトギスラジオ深夜便で伝えていた。そういえば、毎年今頃緑化センターでの季節の花めぐりでお目にかかる花だ。同センターの木立の木漏れ日の中で独特の斑点模様のある花だ。鳥のホトトギスの胸にある模様と似ているところからのネーミングだが、あの模様はクマさんの趣味には合わない。(2年前撮影)



先週の日曜だったかと思う。夕方のニュースで関ヶ原合戦祭りが行われたことを報じていた。天下分け目の合戦の模様を等身大の人形で再現したウォーランドの一部がほんのわずかだけれど写されていた。同ランドの50年前の様子とあまり変わり映えしてないようだった。


およそ50年前の金沢赴任当時、まだ北陸自動車道は開通しておらず、名神関ヶ原で下りて木之本へ、そして国道8号線敦賀へ出たものだ。そんな当時とウォーランドはあまり変わっているようには見えなかった。古戦場跡は桶狭間にしても長久手にしても海の向こうのワーテルローにしてもいずれも集客力のある観光地化するのは難しいようだ。



今や地方創生の時代。歴史上の大転換点でもあった東軍西軍の戦いの地関ヶ原。それだけではない。日本の文化の東西の分岐点でもある関ヶ原岐阜新聞のウェブ版にこんな記事が載っていた。同古戦場は、地元が策定した「関ヶ原古戦場グランドデザイン」に基づき整備が進められており、10月4日の観光交流館完成を手始めに、史跡の保全や景観整備などを進める。と。やっと、動き出したかの感だ。


学生時代の友人に豊橋出身と四日市出身の者がいた。多治見出身の自分と名古屋圏出身の3人が話をすると美濃と三河の言葉は当然違いはあるものの大した違和感はない。四日市はまるで違う。関西系だ。木曽川を越すだけで何でこんなにちがうのや?木曽、長良、揖斐の「木曽三川」から関ヶ原にかけてのあたりが東日本と西日本の境界があるという研究がされているというのをずっと後になって知った。



言葉の違いもさることながら、食文化の東西の違い、その分岐点はたいがい関ヶ原あたりになるようだ。角餅と丸餅、濃い味と薄味、鰻の蒲焼、白ネギと青ネギ、そばとうどん・・・・。日清食品カップ麺は汁の味付けを東西に分け容器にE(東)、W(西)のアルファベットが印字されて、東日本ではEマークの製品が、西日本ではWマークのものが販売されているそうだ。


関ヶ原の観光交流館では東西の分岐点という地の利を生かしてEマークとWマークの製品をワンパックにして売っているそうだ。これだ。商魂たくましいと云えばそれまでだが、「官」も「民」のこの知恵を見習うべきではないか。小林旭の歌ではないが、「昔の名前で出ています」だけで、街に活気が出る時代でもない。知恵だ。知恵が必要だ。関ヶ原は知恵を引っ張り出すのに400年かかった。