かきつばた


午前中、雲ひとつない青空だったのが、午後からは雲行きが怪しくなり、夜には半月ぶりの雨との予報だ。


10日ほど前のカキコ。「小林旭の歌ではないが、「昔の名前で出ています」だけで、街に活気が出る時代でもない。知恵だ。知恵が必要だ。関ヶ原は知恵を引っ張り出すのに400年かかった。」関ヶ原が名前は昔から知られていながら、街に活気がないことを皮肉った。こんな所がもっと身近にある。最近気が付いた。



リタイヤーした直後は毎年その季節になると訪れていた場所も、あまり魅力がないと自然と足が遠のいてしまい、ここ4.5年さっぱりご無沙汰の場所のひとつが知立・八橋の無量寿寺かきつばた園だ。ここは関ヶ原より遡ること800年、平安時代から「昔の名前で出ています」だ。



八橋のかきつばたは、平安の歌人在原業平”が、「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬるたびをしぞおもふ」と、句頭に「かきつばた」の5文字をいれて詠んだように伊勢物語の昔から知られるかきつばたの名勝地だ。約1万3千平米の庭園におよそ3万本のかきつばたが植えられている。


江戸時代を代表する絵師、尾形光琳の「燕子花図(かきつばた)」や「八橋蒔絵螺鈿硯箱(やつはしまきえらでんすずりばこ)は日本の美術史を代表する傑作で国宝だ。当時いかに大きな憧れの名勝だったかの証拠でもあろう。今、知立市歴史民俗資料館で企画展「描かれた八橋」が開催中で、それを見ればもっと多くの作品があるはずだ。



7年前の生涯学習講座で訪れた時のガイドさんによれば、中世以降の日記や紀行文での八橋を訪れた時の印象は「橋もなく何のみどころもない」とか「久しく田となりかきつばたはない」など落胆を綴った記述が少なくないとのことだ。この講座では、刈谷市井ヶ谷地区小堤西池のかきつばた自生群落の見学と知立・八橋のかきつばた園のWかきつばた見学だった。


桶狭間の古戦場が豊明市名古屋市で本家争いして名前が広まっても、訪れる人にいい印象を与えない。かきつばたもマスコットキャラクターやミスかきつばたで名前を広めても訪れる人をがっかりさせてはもったいない。魅力の発信を期待したい。関ヶ原と同じだ。知恵の出し方だ。