マチュピチュ村と大玉村


爽やかに晴れ上がり、暖かな日中。わが家の緑のカーテンにゴーヤがいくつもぶら下がって、まだ夏の装いというのに来年の新年会の案内状がもう届く。時の流れの速いことこの上なしだ。


南米ペルー・マチュピチュは憧れの観光スポットだ。友人、知人で何人もが訪れている。彼等に対して悔し紛れにいうセリフは決っている。「金とヒマはあるけれど、標高5千mもあるところでは心臓疾患のある自分には無理だな」。




そのマチュピチュに関する爽快な話が先日テレビで流れていた。空中都市として人気の高い世界遺産を抱えた南米ペルーのマチュピチュ村が世界中から申し込まれる「友好都市」のラブコールを断って、初めて選んだ相手は何と、日本の農村、福島県大玉村だった。何で?


マチュピチュ遺跡で開かれた式典も映し出されていた。民族衣装をまとったマチュピチュ村の村長と、紋付き羽織姿の大玉村村長が並ぶ姿がなんともミスマッチだが、清々しさすら感じさせるのではないか。そこで、初めてこのカップルの結びつきが知らされた。



移民としてペルーに渡り、初代村長を務めるなど観光開発に尽力した野内与吉さんが大玉村出身だったことから、マチュピチュ側が提携の話を申し込んでいたと云う。


安達太良山(あだたらやま)の裾野に広がる人口8500人の大玉村平成の大合併にも乗らず、「住民に日本一近い」村づくりを進めているという。地球の反対側の国が100年近い昔の恩を忘れずに運んできた良縁で、お祝いムードに包まれているという。”重い”話題ばかりがニュースになっている昨今、久しぶりの爽快な話だ。